AI小説「越冬」

越冬

松田卓也+Claude Opus 5

第一章 渡らない鳥

十一月の新潟は、空が低い。
朝のうちは晴れていても、昼過ぎには西から鉛色の板のようなものが押し寄せてきて、気がつくと窓に雨が斜めに走っている。降りだしたと思えばやみ、やんだと思えばまた降る。この土地の人間はそれをいちいち気にしない。傘を差さずに濡れて歩く年寄りを、私は子どもの頃から見慣れていた。

その日、私は柏木次長の運転する社用車の助手席にいた。燕市の得意先を三軒まわって、帰りが四時をまわっていた。国道は工場帰りの車で詰まり、フロントガラスに当たる雨粒の音だけが車内にあった。
「立花さん、傘、車に置いてあったろう」
「いいんです。すぐやみますから」
「新潟の人はみんなそう言うな」
柏木さんは笑った。東京から単身で赴任してきて三年目になるのに、この人はまだ空の変わり方に馴染んでいなかった。会議の資料に「本日は晴天なり」と打ち間違えたまま印刷して、支店中で笑われたことがある。そういう、少し間の抜けたところのある人だった。四十五歳で、次長で、東京の世田谷に奥さんと高校生の娘さんがいる。それは支店の誰もが知っていることで、私も、最初から知っていた。
弥彦山の裾を回るころ、雨が強くなった。ワイパーが追いつかなくなって、柏木さんは速度を落とした。

「岩室に、宿を取ってある」
前を見たまま、そう言った。私は返事をしなかった。返事をしなくても伝わることを、私たちはもう覚えてしまっていた。

宿は古い木造で、廊下を歩くと畳の縁がやわらかく沈んだ。部屋の窓から見えるのは黒い山の斜面だけで、雨の音がその斜面全体から降ってくるように聞こえた。
夕食のあと、柏木さんは窓際に立って、しばらく何も言わなかった。浴衣の背中が、いつもよりずいぶん薄く見えた。

「四月から、本社に戻ることになった」
私はお茶を注いでいた手を止めなかった。止めたら音が変わって、それでこちらの動揺が知れてしまう気がした。
「おめでとうございます」
「そういうことじゃない」
「そういうことです。栄転でしょう」
彼は振り向かなかった。振り向かないまま、続けた。
「立花さん、二十六だったな」
「はい」
「もったいないよ。こんな事に時間を使うのは」
こんな事、と彼は言った。三年分を、四文字に畳んでしまえる人だと私は思わなかった。けれど、彼が背を向けたまま言ったことで、私にはわかってしまった。この人は私の顔を見て言えないのだ。見たら、言えなくなるのだ。だからわざわざ背中を作ってみせている。その卑怯さが、私にはたまらなく人間らしく見えた。
「わかっています」

そう答えて、私は立ち上がって、彼の背中に額をつけた。浴衣越しに、彼の心臓が思っていたよりずっと速いのがわかった。
報われないことは、最初からわかっていた。わかっていないふりをしたことは一度もない。それでも私はその夜、この人に抱かれた。わかった上で選ぶということが、女にできる唯一のことのように、そのときは思えた。

年が明けて、新潟は本格的に荒れた。
一月の半ばに、夜通し雷が鳴った。この土地では冬に雷が鳴る。
海が荒れて鰤が獲れる季節の合図で、鰤起こしという。東京から来た人はたいてい、冬の雷に驚く。柏木さんも一年目の冬に、社宅から支店に電話をかけてきて「これは何かの災害ですか」と真顔で訊いて、事務の女性たちに笑われた。
その雷の夜、私は自分の部屋で一人だった。窓の外が白く光るたびに、燕市の工場地帯の空を思い出した。燕、という地名を、私はこの三年ですっかり別の意味で聞くようになっていた。

つばめは秋に南へ渡る。渡らずに残ったつばめは越冬つばめと呼ばれて、たいていは冬を越せずに死ぬ。小学校の理科でそう習った気がするが、本当かどうかは知らない。ただ、渡るのが正しくて、残るのが間違いだという理屈だけは、子どもの頭にもすんなり入った。
柏木さんは渡る人だった。季節が変われば、東京へ帰る。それは間違いでも裏切りでもなく、ただ正しい。正しい人を責めることはできない。
私は残る。

二月の終わりの夜、社宅のせまい台所で、私は彼の小指に自分の小指をからめた。
指切りげんまん、と言いかけて、やめた。約束することが何もなかったからだ。私たちのあいだには、未来の側に置けるものが一つもない。指を切る仕草だけが、行き先を失って宙に浮いていた。
だから私は、からめた指をそのまま口に持っていって、彼の小指を噛んだ。
「痛い」
彼が短く言った。私は自分の小指も噛んだ。歯を立てて、血が出る手前でやめた。二つの小指に、同じかたちの跡が残った。
「これで、痛み分けです」
柏木さんは何か言おうとして、言えずに、私の頭に手を置いた。
約束は交わせなくても、痛みなら分けられる。そのときの私には、それが正当な取引に思えた。今も、たぶん間違ってはいなかった
と思っている。
絵に描いたような幸せ、というものを、私は爪の先ほども望んでいなかった。望んでいないというのは強がりではなく、そもそも選択肢の欄に載っていなかったということだ。載っていないものを欲しがるほど、私は幼くなかった。

三月の末、送別会は古町の料亭だった。
支店長が挨拶をして、営業の連中が順番に立って、若手が寄せ書きの色紙を渡した。私も一言書いた。「三年間ありがとうございました。お体にお気をつけて。」その十九文字を、私は前の晩に十回書き直した。
二次会には行かなかった。翌朝、始発に近い便で見送るからと言って帰った。誰も不審に思わなかった。私は支店で一番、目立たない女子社員だった。

新潟駅の新幹線ホームは、四月の手前でもまだ寒かった。彼はコートを腕にかけて、キャリーケースを引いていた。三年分の生活が、キャリーケース一つと段ボール四箱に収まったのだと、彼は前の日に言っていた。
「立花さん」
「はい」
「元気で」
「はい」
それだけだった。それ以上の言葉を、私は望んでいなかったし、彼も持っていなかった。ドアが閉まって、とき号は静かに動きだした。窓の向こうの彼が見えなくなるまで、私は手を振らなかった。振ったら、追いかけたくなる気がしたからだ。
聞き分けのない女だと、自分でも思う。世間の物差しを当てれば、私は完全に間違っている。それはわかっている。わかった上で、私はここに残る。

四月の半ば、支店の裏口の軒に、つばめが巣を作りはじめた。去年と同じ場所だった。総務の主任が「今年も来たねえ」と嬉しそうに言って、糞除けの段ボールを画鋲で留めた。
私はしばらくその下に立って、忙しく出入りする二羽を見ていた。渡ってきた鳥は、また秋に渡っていく。それが摂理で、誰も咎めない。

咎められるのは、渡らなかった鳥だけだ。
風が吹くと、信濃川のほうから、まだ冷たいものが混じっていた。私はコートの襟を立てて、裏口の階段を上った。午後の伝票が机に溜まっていた。
明日も、同じ場所で朝を迎える。

第二章 渡る鳥

新潟に来て最初の冬、雷の音で飛び起きた。
社宅のベッドで、これは何かが爆発したのだと本気で思った。
冬に雷が鳴るという知識が、四十二年生きてきた私の頭のどこにもなかった。翌朝、支店でそれを口にしたら、事務の女性たちに笑われた。鰤起こしですよ、と教えてくれたのが立花さんだった。
「東京の人は、みんなびっくりされます」

みんな、という言い方をした。私という個人ではなく、東京から来る人間という類型として扱われた。そのことに、私はなぜか少し安心した。単身赴任というのは、三年間だけ他人の土地に置かれる石のようなもので、類型として扱われるほうが気楽なのだ。
会議資料に「本日は晴天なり」と打ち間違えたときも、笑ったのは支店の全員だった。訂正して配り直しますと言ってくれたのは立花さんで、そのとき彼女は笑っていなかった。笑わなかったから、覚えている。

新潟の空は、東京と違って一日のうちに何度も表情を変える。
私はそれに三年経っても慣れなかった。慣れないほうがいいのだと、どこかで思っていた気がする。慣れたら、帰れなくなる。

燕の得意先へは、いつも彼女を連れて行った。
理由はいくらでもついた。事務方の担当だから、先方の総務と話が早いから、道を知っているから。理由がつくことばかりを選んで、私は三年をかけて、彼女と二人でいることを業務の中に埋め込んでいった。卑怯という言葉は、そういう作業のために用意されているのだと思う。

十一月のあの日、私は前の週に岩室の宿を予約していた。
順序が逆なのだ。話をするから宿を取ったのではない。宿を取ってから、そこで話そうと決めた。自分がどれだけ長く言い出せずにいたか、その予約日の記録が証明している。
本社から内示が来たのは十月の初めだった。そして支店長は、私にこう言った。もう一期、四十九歳までここにいてもいいのだと。人事に希望を出せば通る話だと。

私は、断った。
誰にも相談せず、その場で断った。娘の受験があるとか、妻の母の具合が悪いとか、理由は口の中で並べたが、本当のところは違う。ここに残れば、私は自分が始めたことの結末を引き受けなければならない。引き受ける自信が、私にはなかった。
そして宿の部屋で、私は彼女にこう言った。
⸺四月から、本社に戻ることになった。
なることになった。決めたのは自分なのに、まるで人事部の紙が勝手に私を運んでいくかのように言った。この一語の受け身が、三年間で私がついた最大の嘘だ。彼女は「おめでとうございます」と言った。声はまったく揺れなかった。
振り向けなかった。
顔を見たら言えなくなる、というのは事実だが、それだけではない。振り向いて、彼女が泣いていたら、私は「残る」と言ってしまいそうだった。言ってしまえば、翌朝には撤回するしかない。
撤回する自分を見せるくらいなら、背中のままでいたかった。

「もったいないよ。こんな事に時間を使うのは」
言った瞬間に、私は自分の舌を切り落としたいと思った。
用意していた言葉は別だった。何日も頭の中で組み替えていた。
君にはこれから先の時間があって、それは私が触れてはいけないもので⸺そういう、もっと長くて、もっと言い訳めいた文章だった。それが土壇場で崩れて、「こんな事」という四文字だけが出た。
三年を四文字にしたのは、彼女を軽んじたからではない。あれは自分に向けた語だった。自分のしてきたことを、自分で一番小さく呼んでみせることで、立ち去る許可を自分に出そうとした。
だが彼女がそれをどう聞いたかは、想像がついた。
背中に、額が押し当てられた。
そのとき私の心臓が異常な速さで打っていたことを、彼女は浴衣越しに知っただろう。知られてよかった、と今は思う。あの晩、私の中で唯一正直だったのは心臓だけだった。二月の終わり、社宅の台所で小指を噛まれた。
痛いと言った。実際に痛かった。彼女は自分の指も噛んだ。血が出る手前でやめる加減を知っている人だと思った。
跡は四日残った。

翌週の日曜、久しぶりに東京の家へ帰った。妻が食卓で私の手元を見て、それどうしたの、と訊いた。書類の束の角で切ったと答えた。妻は「気をつけてよ」と言って、それきり何も訊かなかった。訊かなかったことが何を意味するのか、私は考えないよう
にした。二十年連れ添った人間は、訊くべきでない質問の見分け方を覚えてしまう。
指切りをしなかったのは、彼女が正しい。私たちには約束できるものが一つもなかった。約束のかわりに痛みを差し出されたとき、私は何か言おうとして、言葉が見つからなかった。ありがとうも、すまないも、どちらも彼女を侮辱する気がした。だから頭に手を置いた。それが私にできた最大限で、そして、あまりにも少なかった。

送別会の色紙を、私は東京に持ち帰らなかった。
社宅で荷造りをしながら、段ボールに入れるかどうか三十分迷って、結局入れた。入れて、東京の家では開けなかった。押し入れの奥の、まだ封を切っていない箱の中にある。彼女の字は他の三十人と並んでいて、「三年間ありがとうございました。お体にお気をつけて。」とだけ書いてある。何の証拠にもならない。証拠にならないものを、私は隠している。

新潟駅のホームは寒かった。
元気で、と言った。それ以上の言葉を持っていなかったのは本当だ。しかしそれは、持てなかったのではなく、持たないことに決めていたということでもある。何か一つでも余計なことを言えば、彼女はそれを拾って、これから何年もかけて意味を探してしまう。だから何も渡さなかった。渡さないことが親切なのだと自分に言い聞かせて、私はドアの内側に立っていた。
彼女は手を振らなかった。
その姿を見て、私は一瞬、ほっとした。ほっとした自分に気づいて、長岡を過ぎるあたりまで、窓の外を見ていられなかった。
あれは救われたのではない。免除されたのだ。彼女が私を責めなかったせいで、私は責められる機会を永久に失った。

四月から、本社の部屋に戻った。
娘は志望校に受かり、妻は前より少しよく笑うようになった。
会議は東京の速さで進み、新潟の三年は履歴書の上では二行になった。誰も私に何も訊かない。訊くようなことは何も起きなかったことになっている。

家の近くの駅の軒に、つばめが巣を作った。妻が「毎年来るのよ」と言った。毎年来るということは、毎年帰るということだ。
渡る鳥は責められない。責められないから、渡るのだ。

朝、私は燕の工場でもらったスプーンを使っている。
視察の帰りに、先方の社長がサンプルだと言って一本くれたものだ。あのとき助手席の彼女が、綺麗ですねと言って、光にかざして見ていた。柄の裏に小さく刻印がある。研磨の工程を見学したから、この鏡面がどれだけの手間でできているかを私は知っている。
毎朝それでヨーグルトを食べる。妻はそれを、夫が単身赴任先で気に入って買ってきた土産だと思っている。実際、そう説明した。嘘ではない。

一年経った。新潟支店からの電話は、私の部下が取る。稟議に立花という名前が出ることが年に何度かあって、私はそこで一瞬だけ手を止め、それから判を押す。窓の外は東京の空で、この街の天気は、一日中同じ顔をしている。

第三章 巣のあと

十年というのは、思っていたより静かに減っていくものだった。三十六になった。新潟支店の営業事務は課に格上げされ、私はその主任になった。燕・三条方面の得意先はほとんど私が引き継いでいる。若い子に道順を教えながら社用車に乗ると、助手席側の景色を運転席から見ることになって、最初の一年はそれに慣れなかった。

母が七十を過ぎて足を悪くしたので、私は五年前に実家に戻った。結婚はしていない。見合いの話は三十を過ぎるまで何度かあって、二度は途中まで進み、二度とも私のほうから断った。理由を訊かれるたび、仕事が面白い時期なのでと答えた。嘘ではない。嘘ではない答えを、私はこの十年でずいぶん上手に使えるようになった。

待っていたわけではない。それだけは、自分に対してはっきりさせてある。連絡を取ったことは一度もないし、取ろうと思った
こともない。ただ、燕の工場の駐車場に車を停めるたび、フロントガラスに落ちる雨の音を、私はいつも一秒だけ長く聞いている。それは待つこととは違う。習慣だ。

四月の人事が回ってきたのは、二月の半ばだった。
支店長交代。後任の名前を、私は課の全員より先に、回覧の一行目で見た。
柏木隆一。
紙を持つ手は震えなかった。震えなかったことのほうが、あとで自分でも不思議だった。私はその回覧を次の人に回して、午後の伝票処理に戻った。三時に得意先から電話が入り、納期の調整をして、五時に日報を書いた。その日は雪が降った。

家に帰って、風呂の湯を張りながら、洗面台の鏡の中の自分をしばらく見た。二十六だった女は、もういない。目尻の線が増えて、髪を染めるようになって、声が少し低くなった。この十年で私が手に入れたのは、そういう種類のものばかりだ。五十五歳、支店長。あの人は、正しく渡って、正しく帰ってきた。渡る鳥は必ず戻る。私が忘れていたのは、そちらの半分だった。

四月一日の朝礼で、彼は支店の全員の前に立った。
髪はほとんど白くなっていた。顔の輪郭が緩んで、声は記憶より少し低かった。「三度目の新潟です」と冗談めかして言って、若い社員が笑った。二度目の赴任だから三度目というのは数え方がおかしいのだが、誰も指摘しなかった。挨拶のあと、各課をまわった。私の番になって、彼は名簿を見て、
「立花さん。ご無沙汰しています」
と言った。
「お帰りなさいませ」
私はそう答えた。十年考えていたわけではない。その場で出た言葉だった。出てしまってから、これは支店長を迎える言葉ではないと気づいたが、彼は何も言わずに次の席へ移った。

その日から私たちは、支店長と営業事務主任になった。稟議を上げれば判が返ってくる。会議で意見を求められれば答える。廊下ですれ違えば会釈をする。それだけのことが、毎日繰り返された。
十年前、私たちのあいだにあったのは、誰にも見えない関係だった。今あるのは、誰にでも見える関係だ。そして見える関係のほうが、はるかに強く私たちを縛った。

六月に、燕の得意先で先代社長の葬儀があった。
支店長と主任が参列することになり、社用車で二人で行った。
私は運転席に座った。彼は助手席に乗った。十年前とまったく同じ道で、座席だけが入れ替わっていた。
弥彦山の裾を回るあたりで、彼が言った。
「道、ずいぶん変わりましたね」
「バイパスができました。八年前です」
「そうか」
それきり、しばらく無言だった。ワイパーが二往復した。彼はもう一度、何かを言おうとして息を吸ったのが、隣にいてわかった。吸って、そのまま吐いた。
言わなかった。
私は、それでいいと思った。もし彼が何かを言えば⸺たとえば、あのとき本当は残れたのだというようなことを言えば⸺私はこの十年を全部組み直さなければならなくなる。組み直せる年齢ではない。言わないでいてくれたことを、私は初めて、この人に感謝した。
岩室の看板が過ぎた。二人とも、そちらを見なかった。

秋の支店創立記念のパーティーに、彼は奥さんを連れてきた。
今回は単身赴任ではない。娘さんが結婚して家を出たので、夫婦で新潟に来たのだと、総務の主任が教えてくれた。奥さんは私より十ほど上に見える、背の低い、よく笑う人だった。
紹介されて、名刺を渡した。奥さんは私の名刺をしばらく見て、それから顔を上げてこう言った。
「立花さん。主人がね、新潟の話ばかりするんですよ。前の赴任のときのこと」
「そうですか」
「燕の工場の話とか。研磨の職人さんが、こうやって⸺って、手つきまで真似して」
まわりが笑った。私も笑った。
「あの人、変なんです。あそこでもらったスプーンを一本だけ、十年ずっと使ってて。うちには揃いのがあるのに、朝はそれじゃないと駄目だって」
私はグラスを持ったまま、笑顔の形を保った。
顔の筋肉が動いていることは自分でわかった。声も出た。「そんなに気に入られたんですね」と言った気がする。奥さんは「変でしょう」と言って、また笑った。
会場の向こう側で、彼は支店長として若手に囲まれ、こちらを見なかった。一度も見なかった。見ないことが、彼の十年分の返事だった。

十年間、毎朝、あの人はあれを使っている。奥さんはそれを知っていて、その意味を知らない。知らないまま、今それを、この会場で一番知ってはいけない人間に話して聞かせた。
私は何も奪われていないし、何も渡されていない。ただ、あの朝の食卓に自分の一部が置きっぱなしになっていたことを、十年経って、他人の口から知らされた。
トイレに立って、鏡を見た。化粧は崩れていなかった。三十六の女は、そういうことに強くなる。

四月の半ば、裏口の軒につばめが来た。
去年、外壁の工事で古い巣は落とされた。それでも同じ場所に、同じように泥を運んできた。巣のあった位置に泥の跡が残ってい
て、鳥はその跡を目印にしているのだと、若い子が調べて教えてくれた。
「今年も来ましたね」
そう言ったのは、去年入った二十三の子だった。十年前、総務の主任が言ったのと同じ台詞だった。私はそれを聞く側から、答える側になっていた。
「毎年来るのよ」
私は倉庫から段ボールを一枚持ってきて、糞除けにするために巣の下へ画鋲で留めた。背伸びをして、二か所。十年前、これを留めていた人はもう定年で、今はここにいない。
支店長は、あと二年でこの土地を去る。今度は定年で、東京に帰る。それが最後になる。私はそれを見送るだろう。手を振るかどうかは、まだ決めていない。
段ボールを留め終えて、私は一歩下がって軒を見上げた。二羽が忙しく出入りしていた。
渡る鳥は帰ってくる。帰ってきて、また渡っていく。それを何度でも繰り返せる。
私は一度も渡らなかったから、繰り返すものが何もない。
でも、この軒はある。毎年、同じ場所に泥の跡が残っている。
跡があるかぎり、鳥はそこへ戻ってくる。
裏口の階段を上がると、午後の伝票が机に溜まっていた。私は椅子を引いて、座った。

(了)