AI小説「帝国最後の夕日」第二部

第二部 新たな秩序(あるいは混沌)

第21章

2028年5月5日 – オレゴン州某所 / ニューヨーク州オールバニ / ピッツバーグ、ペンシルベニア州 / クリーブランド、オハイオ州

ジュリアン・ヴァンスの死がもたらした短い安堵感は、長くは続かなかった。絶対的な悪役が舞台から去った後には、権力の真空と、それに伴う不確実性という、より捉えどころのない、しかし同様に危険な現実が残された。冬の寒さが国を覆う中、かつてのアメリカ合衆国は、その形を急速に変えつつあった。それはもはや単一の国家ではなく、互いに警戒し合い、あるいは連携を模索する、複数の地域ブロックがゆっくりと姿を現しつつある、不安定な大陸だった。
オレゴンの山中にあるPCC(環太平洋経済回廊)の情報センターで、デビッド・アンダースは、ヴァンスの隠れ家から回収されたデータの中に埋もれて働いていた。それは、帝国の腐敗と狂気の詳細な記録だった。ヴァンスの国際的な金融ネットワーク、国内の過激派グループとの繋がり、そして未遂に終わったナイアガラ計画よりもさらに恐ろしい、生物兵器の使用を示唆する初期段階の計画…。この情報をどう扱うべきか、PCC指導部内での議論は続いていたが、デビッドの当面の仕事は、ヴァンス亡き後の脅威――彼の残党ネットワークの動向と、そして何よりも、旧連邦軍の核兵器の管理状況――を監視することだった。
画面には、全米各地の核施設周辺の不穏な動きを示す断片的な情報が表示されていた。モンタナのICBMサイロ周辺での所属不明部隊の目撃情報。ジョージア州のキングスベイ海軍潜水艦基地での指揮系統の混乱を示す通信傍受記録。ワシントンD.C.の政治的麻痺が続く中、これらの究極兵器の管理権が、誰の手に渡るのか、あるいは誰の手にも渡らなくなるのか、それはPCCにとって、そして世界にとって最大の懸念事項だった。デビッドは、自分がかつて分析していた経済指標よりも、はるかに重い責任を負っていることを感じていた。

ニューヨーク州の州都、オールバニでは、フランクリン・ヘイズ知事が、東海岸の主要な知事や経済界のリーダーたちとの非公開会合を終えようとしていた。ヘイズは、ヴァンスの失脚とワシントンの権力真空を巧みに利用し、東海岸地域における自身の指導的地位を急速に固めていた。彼は、カリスマ性と冷徹な現実主義を併せ持ち、混乱の中で秩序と安定を求める人々の支持を集めていた。
「ワシントンは死んだ」とヘイズは、集まったリーダーたちに語りかけた。彼の声は落ち着いていたが、強い意志が込められていた。「我々が過去の幻影に囚われている間に、国は崩壊した。今、我々東海岸が自らの手で、自らの未来を築く時だ。安定した経済、信頼できる通貨、そして自衛のための力。我々は新たな連合を形成し、この地域に秩序を取り戻す」。
彼は、PCCの独立路線とは一線を画しつつも、連邦政府の残骸とは明確に決別する姿勢を示した。彼の視線は、大西洋艦隊の主要基地と、ウォール街の金融機能の確保に向けられていた。彼は、旧帝国の灰の中から、新たな地域大国を誕生させようとしていたのだ。その野心は、多くの人々にとっては希望の光であり、他の地域ブロックにとっては警戒すべき脅威だった。

ピッツバーグでは、厳しい冬がようやく和らぎを見せ始めていたが、マリア・ロドリゲスの闘いは続いていた。ヴァンスの死後、センチネルズの一部は確かに弱体化したが、地域の権力空白を埋めるように、新たなギャングや武装集団が現れ、治安は依然として不安定だった。
しかし、困難の中で、マリアのネットワークは進化していた。彼らは、単なる配給や輸送にとどまらず、地域社会の基盤そのものを再構築しようとしていた。「ワーカーズ・コレクティブ」の試みは、いくつかの分野(食料加工、衣料修理、小規模製造)で成功を収め、人々に雇用と尊厳を与え始めていた。彼らは独自の地域通貨(物々交換のレートを基準にしたもの)を実験的に導入し、現金がほとんど価値を失った経済の中で、地域内での循環を生み出そうとしていた。
マリアは、かつてないほど多忙だったが、その目には疲労と共に、確かな手応えも感じられていた。「国がどうなろうと、私たちはここで生きていくしかない」と彼女は、キッチンのボランティアたちに語った。「そして、生きていくためには、自分たちの手で、まともな社会を築くしかないのよ」。それは、ワシントンやサクラメントの政治劇とは異なる、地に足のついた、力強い宣言だった。

クリーブランドのサラ・ジェニングスは、地下活動をさらに深化させていた。州当局による弾圧は続き、彼女のネットワークのメンバー数名が逮捕された。しかし、彼らは活動を止めなかった。サラは、安全な通信手段を確保し、情報を共有し続けるための、分散型のデジタル・ライブラリのようなものを構築していた。そこでは、検閲されたニュースの代わりに、他の地域のネットワークから寄せられた生の状況報告や、生存のための実践的な知識(食料保存法、応急処置、自家発電の方法など)が共有されていた。
彼女は、かつて自分が愛した「図書館」というものが、物理的な建物ではなく、知識と情報を共有し、人々を繋ぐという機能そのものであることを再認識していた。そして、その機能を、この崩壊した世界で、新たな形で守り、育てていくことに、静かな使命感を感じていた。
ワシントンD.C.では、ソーン大統領の弾劾プロセスが、遅々としてではあるが進んでいるというニュースが、彼女のネットワークにも断片的に伝わってきた。しかし、もはやそれが、クリーブランドの彼女たちの生活に、どれほどの意味を持つのか、誰にも分からなかった。ワシントンの政治劇は、遠い世界の出来事になりつつあった。重要なのは、目の前のコミュニティであり、そこで生きる人々の繋がりだった。

2028年、帝国は死の淵にあったが、その広大な国土の各地で、新たな秩序を模索する動きと、混沌とした現実が複雑に絡み合っていた。PCCの野心、東部の再編、南部の動向、中西部の苦闘、そしてマリアやサラのような無数の人々による草の根の営み。核兵器の不気味な沈黙と、国際社会の計算高い視線の中で、物語は、予測不可能な旅路にその一歩を踏み出した。

第22章

2028年6月15日 – モンタナ州某所 / オレゴン州某所 / ニューヨーク州オールバニ / ピッツバーグ、ペンシルベニア州 / クリーブランド、オハイオ州

モンタナ州の広大な平原の地下深く、大陸間弾道ミサイル(ICBM)の発射サイロが沈黙を守っていた。しかし、そのサイロの管制センター内部では、沈黙は破られ、張り詰めた緊張が支配していた。若い空軍将校、ジェニングス中尉(偶然にもサラと同じ姓だが、血縁関係はない)は、二つの相反する命令の間で、額に汗を滲ませていた。
一つは、依然としてワシントンD.C.の国防総省(あるいはその残骸)の最高司令部から発せられたとされる、最高レベルの警戒態勢(DEFCON 2)への移行と、ミサイル発射準備シーケンスの開始を指示する命令だった。理由は「国家に対する切迫した、未確認の脅威」とされていた。
もう一つは、PCC(環太平洋経済回廊)に同調する、地域を管轄する(と主張する)軍司令官から発せられた、ワシントンからの命令は無効であり、いかなる発射準備も行ってはならない、という命令だった。
旧アメリカ合衆国の核のトライアド(三本柱)の一角を担うこのICBM部隊は、今や指揮系統の完全な崩壊という、悪夢のシナリオに直面していた。ジェニングス中尉と彼の部下たちは、どちらの命令に従うべきか、あるいは従わないべきか、そしてその選択がどのような結果を招くのか、想像もつかない状況に置かれていた。彼らの指は、文字通り、世界の運命を左右するボタンの上にあった。

オレゴンのPCC情報センターでは、デビッド・アンダースとオラクルのチームが、このモンタナのサイロからの異常な通信パターンを傍受し、息を詰めて状況を監視していた。
「ワシントン(の残存勢力)が、脅しのためにDEFCONレベルを引き上げようとしているのか、それとも、本当に何らかの脅威を認識しているのか…あるいは、これはヴァンスの残党による、さらなる混乱を狙った偽情報かもしれない」とデビッドは分析した。「問題は、現地の司令官がどちらの命令に従うかだ」。
PCCには、モンタナのサイロに直接介入する手段はなかった。彼らにできるのは、状況を監視し、PCC自身の核戦力(彼らが管理下に置いた太平洋艦隊の潜水艦を含む)の警戒レベルを引き上げ、そして非公式ルートを通じて、他の地域ブロック(東部連合や南部連合)や、国際社会(特にロシアと中国)に警告を発することだけだった。核戦争の危機は、もはや理論的なものではなく、リアルタイムで進行する脅威だった。アトラスは、ジュネーブの国連で緊急会合を招集するよう、各方面に働きかけていた。

ニューヨーク州オールバニでは、フランクリン・ヘイズ知事が、この核の危機を、自らの政治的地位を強化するための好機と捉えていた。彼は東海岸のメディアを通じて声明を発表し、ワシントンD.C.の無責任さと指揮能力の欠如を厳しく非難した。
「中央政府が自らの核兵器さえ管理できないのであれば、もはや国家としての体をなしていないことは明らかだ」とヘイズは語った。「我々東部連合は、地域の安全と安定を確保するため、旧連邦軍の地域資産(大西洋艦隊の核戦力を含む)に対する、完全かつ排他的な管理権を確立する必要がある」。
それは、核兵器管理問題を利用して、東部連合の独立性と軍事力を正当化しようとする、計算高い政治的動きだった。彼は、混乱の中から秩序を(少なくとも東海岸においては)もたらす指導者としてのイメージを確立しようとしていた。

ピッツバーグでは、モンタナでの核危機に関する断片的なニュースや噂が広まり、人々の間に新たな恐怖の波を引き起こしていた。マリア・ロドリゲスは、連帯キッチンに集まる人々の動揺を鎮めようと努めたが、その不安は伝染性が高かった。
「核戦争が始まったら、こんな地下室にいても無駄だよ」。一人の老人が、震える声で言った。
「まだ何も決まったわけじゃない」とマリアは力強く答えた。「そして、何が起ころうとも、私たちはここで、互いに助け合って生きていくしかない。パニックになることが一番危険よ」。
しかし、彼女自身も、この見えない脅威の前では、自分たちのコミュニティの努力がいかに脆いものであるかを感じずにはいられなかった。彼女は、ネットワークの自衛組織に対し、万が一の事態(例えば、核のフォールアウトや、パニックに乗じた暴動)に備えるよう、指示を出した。それは、想像したくもないシナリオだったが、もはや無視することはできなかった。

クリーブランドのサラ・ジェニングスは、彼女の地下ネットワークを通じて、より詳細な、しかし錯綜した情報を受け取っていた。オハイオ州内にあるとされる空軍基地(戦略爆撃機の基地かもしれない)周辺でも、警戒レベルが引き上げられているという噂があった。人々は、近くの古い防空壕の場所を確認し合い、ヨウ素剤(甲状腺の被ばくを防ぐとされる)の入手方法についての情報が、ネットワーク内で飛び交っていた。
サラは、恐怖を煽るのではなく、正確な情報(それがたとえ厳しい現実であっても)と、実践的な対策(避難経路、食料備蓄、通信手段の確保)を共有することに努めた。彼女のデジタル・ライブラリは、今や、核の脅威という究極の危機に対する、市民レベルでの情報共有と準備のためのプラットフォームとなっていた。彼女は、かつてないほどの重圧を感じながらも、人々が絶望に屈しないよう、情報を繋ぎ続けた。

モンタナのサイロでは、数時間にわたる極度の緊張の後、ジェニングス中尉が、苦渋の決断を下した。彼は、PCCに同調する地域司令官からの命令を受け入れ、ワシントンからの発射準備命令を正式に拒否したのだ。彼の決断の理由は、命令の正当性への疑念か、あるいは単に、より近く、現実的な権力構造に従った結果なのか、定かではなかった。
当面の危機は回避された。しかし、根本的な問題――誰が核のボタンを最終的に管理するのか――は、より深刻な形で露呈した。旧アメリカ合衆国の核戦力は、今や、忠誠心の揺らぐ、分裂した指揮系統の下に置かれており、事故や誤算、あるいは意図的な反乱によって、いつ火を噴くか分からない、時限爆弾のような存在となっていた。
デビッド、マリア、サラ、そしてヘイズ。彼らはそれぞれの場所で、それぞれの立場で、この新たな、そして最も恐ろしい現実と向き合わなければならなかった。帝国の崩壊は、今や、人類全体の生存を脅かす可能性をはらんでいた。混沌は、核の影によって、さらに深く、暗いものとなった。

第23章

2028年7月4日 – ワシントンD.C. / ニューヨーク州オールバニ / オレゴン州某所 / ピッツバーグ、ペンシルベニア州 / クリーブランド、オハイオ州

かつて独立記念日を祝う花火が夜空を彩ったワシントンD.C.は、今や不気味な静けさと、抑圧された熱気に包まれていた。モンタナでの核危機は、旧体制の棺桶に打ち込まれた最後の釘だったのかもしれない。ハリソン・ソーン大統領に対する弾劾の動きは、もはや止めることのできない濁流となっていた。
議会の残存勢力――その多くは、もはやワシントンではなく、より安全な場所(あるいは自らが属する地域ブロックの拠点)から遠隔で参加していた――は、驚くべき速さで弾劾決議案を可決した。長年にわたる司法判断の無視、ナイアガラ事件におけるヴァンスの行動への(少なくとも暗黙の)関与、そして国家分裂を招いた指導力の欠如。罪状は多岐にわたったが、本質は一つだった――彼は、もはや大統領たる資格も、能力も失っていた。
ソーン大統領は、ホワイトハウスの執務室に立てこもり、最後まで抵抗を試みた。彼は、依然として彼に忠実な一部のシークレットサービスと、少数のセンチネル部隊に守られながら、テレビ演説を通じて国民(あるいは、もはや存在しない「国民」)に訴えかけた。「これはクーデターだ!」「真のアメリカ国民よ、立ち上がれ!」と彼は叫んだが、その声は、かつての扇動的な力強さを失い、追い詰められた男の絶望的な響きを帯びていた。
しかし、彼の時代は終わっていた。軍の最高指導部は、国家の安定を優先し、大統領の命令に従わないことを明確にした。議会は上院での弾劾裁判を(多くの議員が欠席する中、異例の速さで)進め、有罪判決を下した。
2028年7月4日、アメリカ合衆国の独立記念日という皮肉な日に、ハリソン・ソーンは大統領職を罷免された。そして、彼が大統領執務室から連れ出されようとしたその瞬間、連邦保安官(司法省の数少ない機能している部門からの命令を受けていた)が、逮捕状を手に現れた。容疑は、大統領就任以前からの複数の訴訟(詐欺、司法妨害など)と、大統領在任中の度重なる最高裁判決無視による「司法への侮辱罪」だった。かつてあらゆるルールを捻じ曲げてきた男は、旧世界の、しかし依然として存在する法の網によって、ついに捕らえられたのだ。彼は抵抗することなく、灰色の顔で連行されていった。
彼の失脚は、しかし、安定をもたらすどころか、権力の真空をさらに深めた。副大統領が自動的に昇格したが、彼もまたソーン政権の負の遺産を背負っており、わずか数週間後には、同様の弾劾プロセスによって早々に失脚した。次に大統領代行となったのは下院議長だったが、彼は分裂した国家において何の権力も持たず、ワシントンD.C.の政治は完全に麻痺状態に陥った。それは、死んだはずの体が、まだ痙攣を続けているかのような、グロテスクな光景だった。

このワシントンの茶番劇を冷ややかに見つめていたのが、ニューヨーク州知事フランクリン・ヘイズだった。彼は、ソーン失脚という好機を逃さなかった。東海岸の主要州知事たちとの連携を固め、彼は「東部連合(Eastern Federation)」の樹立を正式に宣言した。マサチューセッツからバージニアまでの州(参加の度合いは様々だったが)が、経済、安全保障、そしてインフラ管理において協力する、新たな政治的枠組みだった。
ヘイズは、連合の臨時首都をニューヨーク市に置き、旧連邦準備制度理事会(FRB)の残存機能や、ウォール街の金融機関を自らの管理下に置こうと動いた。さらに、ノーフォークに司令部を置く旧大西洋艦隊の主要部隊に対し、東部連合への忠誠を要求した。一部の司令官は抵抗したが、多くはワシントンの混乱に見切りをつけ、地域に根差した新たな権力構造に組み込まれることを選んだ。ヘイズは、旧帝国の資産を巧みに吸収し、自らの地域ブロックの力を急速に拡大していた。

オレゴンのPCC情報センターでは、デビッドたちが、ワシントンの崩壊とヘイズの台頭を注意深く分析していた。「ヘイズは危険な男だ」とアトラスが言った。「彼はソーンのような狂信者ではないが、冷徹な野心家だ。東部連合は、我々PCCにとって、協力相手にも、最大のライバルにもなり得る」。核兵器の管理問題は、ヘイズの東部連合が旧大西洋艦隊の核戦力を掌握しようとすることで、さらに複雑化していた。PCCは、自らの核抑止力(太平洋艦隊の潜水艦)を維持しつつ、ヘイズとの間で、偶発的な衝突を避けるための、非公式な対話を模索し始めた。

ピッツバーグのマリアは、ソーン逮捕のニュースをラジオで聞いたが、もはや大きな感慨はなかった。ワシントンの政治がどうなろうと、彼女たちの生活は変わらない。重要なのは、自分たちのコミュニティをどう守り、どう再建していくかだ。ヘイズの東部連合の動きは、しかし、彼女の地域にとって直接的な影響を持ち始めていた。ペンシルベニア州政府は、東部連合への参加を巡って内部で分裂しており、その混乱に乗じて、地域の武装勢力(ヴァンスの残党やギャング)が活動を活発化させていた。マリアのネットワークは、自衛と秩序維持の必要性を、これまで以上に強く感じていた。

クリーブランドのサラは、ソーン逮捕の報を、彼女が管理する地下ネットワークで共有した。反応は様々だった。安堵する声、依然としてソーンを信じる声、そして、もはやワシントンの出来事に関心を示さない声。オハイオ州政府もまた、混乱していた。連邦からの指示が途絶え、州内の権力構造も揺らぎ始めていた。サラは、この権力の空白が、さらなる弾圧を招くのか、それとも、自分たちの活動にとって、わずかな隙間を生むのか、見極めようとしていた。彼女は、ネットワークを通じて、正確な情報を集め、共有し続けることの重要性を再確認した。真実を知ること、そしてそれを共有すること。それが、混沌とした時代を生き抜くための、ささやかな、しかし確かな武器だった。

時は流れ、2028年の秋が近づいていた。11月の大統領選挙は、もはや誰も話題にしなくなっていた。国は、法的にまだ存在していても、事実上、存在していなかった。ワシントンD.C.のホワイトハウスは、過去の栄光の、空虚な記念碑のように静まり返っていた。そして、大陸の各地で、人々は、来るべき2029年1月19日――旧アメリカ合衆国のカレンダーにおける、架空の「次期大統領就任式」の日――を、ある者は恐怖と共に、ある者は諦めと共に、そしてある者は、新たな始まりへの静かな決意と共に、待っていた。帝国の長い黄昏は、終わりを迎えようとしていた。

第24章

2029年1月19日 – ニューヨーク市 / ワシントンD.C. / オレゴン州某所 / ピッツバーグ、ペンシルベニア州 / クリーブランド、オハイオ州

その日は、奇妙な静けさとともに訪れた。2029年1月19日。旧アメリカ合衆国の暦の上では、4年ごとに新たな大統領が就任宣誓を行うはずの日。しかし、その国はもはや存在しなかった。花火も、パレードも、就任演説もなかった。ただ、大陸全体に広がる、重苦しい期待と、漠然とした不安、そして一部には解放感さえ漂う、複雑な空気があった。それは、長く続いた危篤状態の患者が、ついに息を引き取った瞬間に似ていた。
大陸は、明確に異なる現実を生きていた。
• PCC(環太平洋経済回廊): カリフォルニア、オレゴン、ワシントンを中心とするこの地域は、比較的安定を保っていた。ハワイも、そこに基地を置く旧太平洋艦隊もPCCに参加することに決めていた。テクノロジー企業は(たとえ縮小した市場であっても)活動を続け、アジア太平洋地域との独自の貿易ルートを確立していた。水不足は依然として深刻な問題だったが、PCC政府は強力な中央集権体制(フローレス知事の下で)と技術力を駆使して、インフラの再建と地域経済の自立を進めていた。彼らにとって、1月19日は、旧体制との完全な決別を確認する、形式的な日付に過ぎなかった。オレゴンの情報センターで、デビッド・アンダースは、この日の前後における、他の地域ブロックや国際社会の反応を示すデータを冷静に分析していた。特に、PCCと東部連合がそれぞれ管理下に置いた核戦力をめぐる、水面下での神経質なやり取りは続いていた。
• 東部連合: ニューヨーク市を臨時首都とするフランクリン・ヘイズの連合は、この日を最大限に利用しようとしていた。ウォール街の旧証券取引所のバルコニーから、ヘイズは東部連合の完全な主権と、新たな地域憲法の制定を宣言する演説を行った。その様子は、彼が掌握した旧主要メディアの残骸を通じて、広範囲に(ただし、到達範囲は限られていたが)放送された。彼の背後には、旧大西洋艦隊の将校たちの姿も見えた。
• 南部連合: テキサスやフロリダを中心とする南部州は、独自の連合形成を進めていたが、内部の足並みは乱れていた。旧来の保守的な価値観を掲げる一方で、経済的困難(特に農業とエネルギー産業の混乱)と、ハリケーンなどの気候変動の影響に苦しんでいた。彼らは、東部連合やPCCに対して、警戒心と対抗心を抱いていた。
• カナダ=北部同盟: ニューイングランドの一部、北部国境州、そしてアラスカは、カナダとの経済的・軍事的な統合をさらに深めていた。国境線は事実上意味を失い、人や物資の移動は(少なくともカナダとの間では)比較的自由になっていた。彼らは、南で繰り広げられる混乱から距離を置き、新たな北方国家としてのアイデンティティを模索していた。ソーン大統領は就任直後にカナダを併合すると脅したのだが、皮肉なことに逆になってしまったのだ。
• 中西部(るつぼ): オハイオ、ペンシルベニア西部、そして広大な中西部の内陸部は、最も不安定で混沌とした地域だった。旧連邦政府も、明確な地域ブロックも、確固たる支配を及ぼしていなかった。ここでは、州政府の残骸、郡の保安官、センチネルズの残党、地域ギャング、そしてマリアやサラのような草の根コミュニティネットワークが、モザイク状に入り乱れ、限られた資源をめぐって争い、あるいは協力し合っていた。ここでは、1月19日は、ワシントンからの最後の軛(くびき)が外れたことを意味したが、それが自由を意味するのか、さらなる無法状態を意味するのかは、誰にも分からなかった。

——————————————————————————————————
ワシントンD.C.では、臨時大統領である下院議長(その名前を覚えている者は、もはやほとんどいなかった)が、ホワイトハウスの埃っぽいプレスルームで、弱々しい声明を発表しようとしていた。「…法と秩序に基づき、合衆国憲法の精神は生き続ける…」彼がそう語り始めた時、ニューヨークからのヘイズ知事の演説中継が、主要な通信回線を乗っ取った。
ヘイズの声が響き渡った。「本日、我々は歴史の転換点に立つ。旧アメリカ合衆国は、自らの失敗と分裂によって、その存在理由を失った。過去に訣別し、我々東部連合は、自らの運命を自らの手で切り開くことを、ここに宣言する!ワシントンの幻影はもはや存在しない!」。
下院議長は画面に向かって何か反論しようとしたが、その声はヘイズの力強い宣言にかき消され、中継自体もすぐに打ち切られた。それは、旧体制の終わりを告げる、象徴的な、そして屈辱的な光景だった。エリツィンがゴルバチョフを脇に押しやったように、ヘイズは、もはや中身のない旧国家の残骸を、力ずくで歴史のゴミ箱へと葬り去ったのだ。

——————————————————————————————————
ピッツバーグの連帯キッチンで、マリアはその中継を、古いバッテリー駆動のラジオで聞いていた。彼女の周りでは、人々が黙々と食事をしていた。ヘイズの宣言にも、大きな反応はなかった。彼らにとって重要なのは、今日の食料であり、明日の安全であり、コミュニティの繋がりだった。マリアは、ヘイズの言う「新たな秩序」が、自分たちの地域に何をもたらすのか、警戒心を解かなかった。それは安定か、それとも新たな支配か。彼女は、自分たちの手で築き上げてきたものを守り、育てていく決意を新たにした。
クリーブランドの隠れ家で、サラは、ヘイズの宣言のニュースを、彼女のネットワークで共有した。反応は様々だったが、共通していたのは、もはや後戻りはできないという認識だった。旧国家は死んだ。彼らは、自分たち自身の力で、この混沌とした現実の中で、意味と秩序を見つけ出さなければならない。サラは、ネットワークのメンバーたちに、警戒を怠らず、互いに助け合い、情報を共有し続けるよう呼びかけた。彼女たちの小さなネットワークが、この新しい時代の、頼りない灯台だった。

——————————————————————————————————
2029年1月19日。アメリカ合衆国という名の国家は、法的に、そして事実上、その歴史を終えた。大陸は5つ以上の断片に分裂し、それぞれが独自の道を歩み始めた。核兵器は依然として各地に分散し、沈黙した脅威として存在し続けていた。国連本部はジュネーブへの移転準備を進め、安保理改革の議論は混迷を極めていた。
未来は、かつてないほど不確かだった。新たな戦争の火種、経済的困窮、社会の分断。しかし、同時に、廃墟の中から、新たな協力の形、地域に根差したコミュニティ、そして異なる価値観に基づいた社会を築こうとする、かすかな、しかし確かな希望の芽も存在していた。
デビッド、マリア、サラ。彼らは、それぞれの場所で、この「新たな秩序(あるいは混沌)」の時代の幕開けを迎えた。帝国の最後の夕日は沈み、彼らの前には、長く、暗い、しかし未知の可能性を秘めた夜が広がっていた。