第四部:東方の地平線
第十八章:独立の狼煙
モスクワでのクーデター未遂とその後の権力の空白に関する情報は、断片的ではあったが、数時間のうちに極東のヴィクトル・カザンツェフ知事の元にも届いていた。ヴォルコフ大統領の所在不明、クレムリンの機能麻痺、そしてFSB長官パブロフによる不安定な権力掌握の試み…。カザンツェフは、執務室の椅子に深く腰掛け、送られてくる暗号化された報告を冷静に分析していた。
彼が長年待ち望んでいた、あるいは予測していた瞬間が、ついに訪れたのだ。モスクワの中央権力は、自らの内紛によって崩壊しつつある。帝国の心臓が止まりかけている今、辺境である極東が、その運命を中央に委ね続ける必要はない。
「…時は来た」カザンツェフは、静かに呟いた。
彼は直ちに、地域の軍管区司令官、国境警備隊の責任者、そして地方FSBのトップら、地域の安全保障を担う主要メンバーを、知事公館に緊急招集した。集まった男たちの顔には、不安と緊張、そしてわずかな期待が入り混じっていた。彼らもまた、モスクワの混乱を察知し、カザンツェフが何をしようとしているのか、薄々感づいていた。
「諸君、状況は明白だ」カザンツェフは、重々しく口を開いた。「モスクワの中央政府は、現在、その機能を喪失している。我々の首都は、権力の空白状態にあると言っていい。このような状況下で、我々極東地域住民の安全と生活を保障する責任は、誰にあるのか?」
誰も答えなかった。答えは明らかだったからだ。
「中央の指示を待っていては、我々は混乱に巻き込まれるだけだ。我々自身の手で、この地域の秩序と安定を維持しなくてはならない」カザンツェフは続けた。「よって、私は、この極東地域における全権を一時的に掌握し、『非常事態管理体制』を布くことを宣言する!」
その言葉は、静かだが、部屋にいる全員の腹に響いた。これは、単なる非常事態宣言ではない。モスクワからの独立宣言に等しい、歴史的な決断だった。
「地域の軍、国境警備隊、FSBを含む全ての治安・行政機関は、本日ただ今より、私の直接指揮下に入る。モスクワからのいかなる指示も、私の承認なしに実行してはならない。住民生活の安定確保を最優先事項とする!」
カザンツェフは、集まった幹部たちの顔を一人一人見据えた。反論する者は、いなかった。彼らもまた、この決断が避けられないものであること、そして、カザンツェフについていくしかないことを理解していた。長年にわたるカザンツェフの布石と、彼が地域で築き上げてきた信頼と権力基盤が、この瞬間に実を結んだのだ。
会議が終わると、カザンツェフは執務室の窓辺に立ち、雪に覆われたハバロフスクの街並みを見下ろした。モスクワの混乱は、まだ続くだろう。だが、ここ極東では、新たな時代が始まろうとしていた。それは、困難で、未知の道かもしれない。しかし、自分たちの運命を、自分たちの手で切り開く道だ。
遠い西のクレムリンで、権力の空白が深まる中、東の果てで、新たな独立の狼煙が、静かに、しかし力強く上げられた。それは、ロシアという巨大な帝国が、ついにその断片化のプロセスを開始したことを示す、紛れもない徴候だった。ロシアという舞台の幕は、新たな時代の幕開けと共に、静かに下ろされた。
第十九章:龍の影と旭日
ヴィクトル・カザンツェフが「極東沿海共和国」の樹立を宣言したニュースは、世界を駆け巡ったが、最も速く、そして重い反応を示したのは、国境を接する巨大な隣人、中国だった。
北京の共産党指導部は、この宣言を待っていたかのように、即座に共和国の非承認と、カザンツェフの行動を「地域の平和と安定を脅かす分離主義者の暴挙」と断じる声明を発表した。さらに、国営メディアは公然と、この地域がかつての清朝の領土「外満州」であり、不平等条約によってロシア帝国に奪われた「固有の領土」であるという主張を展開し始めた。それは、歴史を盾にした、露骨な領土的野心の表明だった。そして、その言葉を裏付けるように、中露国境地帯では人民解放軍の大規模な「演習」が開始され、最新鋭の戦車や戦闘機が集結しつつあるという情報が、衛星画像と共にカザンツェフの元にもたらされた。侵攻の脅威は、もはや憶測ではなく、現実のものとして迫っていた。
「…龍が目を覚ましたか」カザンツェフは、執務室の窓から曇り空を見上げ、呟いた。モスクワの支配は終わったが、より直接的で、圧倒的な脅威が目の前に現れた。
側近の一人が、希望的観測を口にした。「しかし知事、我々には旧太平洋艦隊があります。核ミサイル潜水艦も…中国とて、それを無視はできまい」
カザンツェフは、ゆっくりとかぶりを振った。「艦隊はここにある。だが、核のボタンは、本当に我々の手の中にあるのか? モスクワの承認なしに、我々の一存で発射できると本気で思うか? たとえ出来たとしても、国境侵犯程度で、あの究極兵器を使えるか? 使えば、我々は世界から非難され孤立するだけだ。北京は、我々が使えないことを見越して、通常戦力で圧力をかけてくるだろう。そして、残念ながら、陸と空の戦力において、我々は赤子同然だ」
彼の分析は冷徹だった。核は抑止力にはなっても、国土を守る盾にはならない。新生共和国は、強力な通常戦力を持つ後ろ盾なしには、中国の圧力の前にあまりにも無力だった。
ソーン大統領のアメリカは混乱を極め、ヨーロッパは頼れない。残された道は一つ。歴史的な因縁は深いものの、中国の膨張を同じく警戒するであろう、海の向こうの隣国。
「日本だ」カザンツェフは断言した。「日本と手を組む以外に、我々が生き残る道はない。特使を送れ。最高レベルの交渉を申し入れる。条件は、共和国の承認と、即時の安全保障協力だ。そして…切り札として、『北方四島』の主権返還を提示しろ。完全かつ即時の返還だ」
その極秘情報は、東京の永田町を震撼させた。首相官邸では、情報分析官たちが衛星写真と北京の公式発表を睨みつけ、外務・防衛官僚たちが喧々囂々の議論を戦わせていた。
「危険すぎる! 中国との全面対決になりかねない!」 「カザンツェフ政権がいつまで持つか…」 「内政干渉だ!」
慎重論が渦巻く中、首相は一人、地図を見つめていた。北海道の先に横たわる、歯舞、色丹、国後、択捉。失われた故土。何十年もの間、歴代の政権が返還を求め続けてきた島々。それが今、手の届くところにある。この千載一遇の好機。もし北方領土返還を成し遂げたら、自分の名前は日本の歴史に永遠に残るだろう。しかし、その代償は、アジアの勢力図を塗り替え、大国・中国との対立を覚悟することだ。
「…会議を開く」首相は、側近に告げた。「我が国の国益と、将来にわたる平和と安定のために、何が最善か。あらゆる選択肢を、虚心坦懐に議論する時だ」日本の運命を左右するかもしれない、重い決断の時が迫っていた。
一方、ハバロフスクでは、カザンツェフは日本からの応答を待つ間にも、西に広がる広大なシベリアの大地に目を向けていた。モスクワの権威失墜により、シベリアもまた事実上の無政府状態に陥りつつあった。各地で旧地方官僚や民族主義者、あるいは単なる武装集団が勢力を主張し始めていたが、いずれも地域全体を統治する力も意志も欠いているように見えた。
そして、そのシベリアの心臓部には、世界最大の淡水湖、バイカル湖がある。中国が喉から手が出るほど欲しがっているであろう、無尽蔵の水源。北京は、極東共和国への軍事的圧力を強める一方で、歴史的レトリック(唐・元時代の宗主権)を使いながら、シベリアの弱体な現地勢力に対し、「開発支援」をちらつかせ、バイカル湖へのアクセス権を得ようとするであろうことを、カザンツェフは読んでいた。
「中国は、我々(極東共和国)との直接衝突は避けたいはずだ。だが、シベリアは別だ…」カザンツェフは側近に語った。「我々がシベリアの混乱に介入し、現地勢力をある程度束ねることができれば、中国との交渉カードになる。バイカル湖へのアクセスを『仲介』する代わりに、我が共和国の安全と、シベリアにおける我々の影響力を認めさせるのだ。日本との連携と、シベリアへの介入。この二つを同時に進める必要がある」
極東の凍てつく大地の上で、カザンツェフは二正面作戦ともいえる、危険極まりない外交ゲームに乗り出そうとしていた。東の日本との連携による安全保障の確立、そして西のシベリアへの影響力拡大と中国との駆け引き。新生共和国の存亡は、彼の双肩にかかっていた。
第二十章:陽はまた昇る
東京、霞が関。外務省の、外部からはうかがい知れない一室で、歴史が静かに動こうとしていた。極東沿海共和国から派遣された特使、セルゲイ・イワノフ(カザンツェフの最も信頼する元外交官)が、日本の外務大臣、官房長官、そして数名の安全保障担当の高官と、初めて公式に(しかし極秘裏に)対面していた。
部屋の空気は、緊張と期待、そして疑念で張り詰めていた。イワノフ特使は、カザンツェフからの親書を読み上げ、極東共和国の樹立宣言の正当性と、独立維持への固い決意を述べた。そして、単刀直入に本題に入った。
「我が共和国は、日本国に対し、国家としての正式な承認と、両国の安全保障のための協力枠組みの構築を、ここに要請するものであります」
日本の高官たちは、表情を変えずに聞いていた。外務大臣が、慎重に言葉を選びながら口を開いた。 「イワノフ特使、貴国の置かれた状況の困難さは理解しております。しかし、我が国としても、貴国の申し出は、国際関係、特に隣接する大国との関係において、極めて慎重な判断を要する問題です」
「承知しております」イワノフは頷いた。「だからこそ、我々は、単なる要請だけをしに来たのではありません。日本国民が長年、心を痛めてこられた問題について、我々は歴史的な決断を下す用意があります」
彼は、一呼吸置いて続けた。 「ヴィクトル・カザンツェフ首班は、両国の真の友好と、新たな時代の幕開けの証として、歯舞、色丹、国後、択捉の四島、いわゆる『北方領土』の主権を、完全かつ即時に日本国へ返還する用意があると、明確に表明しております」
その言葉は、部屋に衝撃を与えた。日本の高官たちの間に、動揺が走る。長年、膠着状態にあった領土問題が、このような形で解決の可能性を見せるとは、誰も予想していなかった。もちろん、カザンツェフ政権が今後どうなるか、その約束が本当に履行されるのか、リスクは計り知れない。だが、目の前にあるのは、紛れもなく歴史的な好機だった。
官房長官が咳払いをして、議論を引き取った。「…特使、提案の重みは理解しました。しかし、安全保障協力とは、具体的に何を想定しておいでか?」
ここから、両国の真意を探り合う、息の詰まるような交渉が始まった。極東共和国側は、中国の脅威を背景に、早期の軍事的な連携(情報共有、共同訓練、必要であれば自衛隊の駐留も示唆)を求めた。日本側は、領土返還の具体的なプロセスと保証を確認しつつ、安全保障協力のレベルを慎重に見極めようとした。
会議は、深夜まで続いた。明確な合意には至らなかったものの、「両国は、ハイレベルでの協議を継続する」という一点で一致し、初日の交渉は幕を閉じた。
イワノフ特使は、宿舎に戻る車の中で、窓の外の東京の夜景を見つめた。日本の反応は、予想以上に慎重だったが、拒絶されたわけではない。北方領土という切り札は、確かに彼らの心を動かしたようだ。だが、時間は限られている。ハバロフスクでは、カザンツェフが、西のシベリア情勢と中国の動向にも神経を尖らせているはずだ。
太陽は、まだ昇らない。だが、東の空は、わずかに白み始めているように、イワノフには感じられた。この交渉の先に、極東共和国の、そして日本の、新たな夜明けが待っていることを信じて。
第二十一章:百年の和解
東京とハバロフスクでの水面下での交渉は、極度の緊張感の中で続けられた。日本の首相は、国内の慎重論や中国からの無言の圧力を抑え込み、歴史的な決断を下した。カザンツェフもまた、シベリア情勢への睨みを利かせつつ、日本との連携という生命線に賭けた。そして、数週間にわたる協議の末、両者はついに合意に達した。
発表は、両国の首都で同時に行われた。
東京では、首相官邸での臨時記者会見。首相は、やや硬い表情ながらも、歴史の証人となる覚悟を込めて語り始めた。 「本日、日本国政府は、極東沿海共和国との間で、両国の主権尊重、友好協力、及び安全保障に関する共同声明に署名いたしました。これに基づき、我が国は極東沿海共和国を正式に承認いたします」 会場がどよめく中、首相は続けた。 「そして…極東沿海共和国首班、ヴィクトル・カザンツェフ氏は、両国の未来志向の関係構築のため、歴史的な英断を下されました。歯舞群島、色丹島、国後島、及び択捉島、すなわち北方四島の主権が、平和裡に、かつ最終的に、我が国に返還されることが、共同声明において確認されました!」
その瞬間、会見場はフラッシュの閃光と記者たちの興奮した声に包まれた。テレビやインターネットを通じて、このニュースは瞬時に日本全国へと伝わり、列島は歓喜と驚き、そして一部には戸惑いの声で満たされた。戦争を知る世代は涙し、若者たちは歴史の教科書が書き換わる瞬間に立ち会っていることに興奮した。根室の納沙布岬では、島影を望み続けた元島民たちが、抱き合って喜びを分かち合った。百年の長きにわたった懸案が、思わぬ形で、しかし確かに解決へと向かったのだ。
一方、ハバロフスク。カザンツェフもまた、国家評議会のメンバーを前に、共同声明を発表していた。 「…日本との友好関係及び安全保障協力の確立は、我が共和国の存立と発展に不可欠である。この歴史的合意の証として、我々は、過去の時代の遺物である領土問題を解決し、未来への扉を開くことを決断した。四島の主権は、国際法に基づき、平和的に日本国へ移管される」
共和国(旧極東ロシア地域)内での反応は、日本とは異なり、複雑だった。多くの住民にとって、遠い島々の帰属問題は、日々の生活の安定や経済的な将来ほど、切実な関心事ではなかった。日本との協力による経済発展や、中国の脅威からの安全保障という「実利」を歓迎する声が上がる一方で、一部の民族主義者や旧体制支持者からは、「国土の切り売りだ」「カザンツェフは国賊だ」といった激しい反発の声も上がった。だが、カザンツェフは、情報統制と、治安部隊による封じ込めによって、これらの反対意見が大きなうねりとなることを許さなかった。
モスクワのパブロフ政権(いまだ不安定だったが)は、「違法な分離主義者による国家資産の不当な処分」と激しく非難したが、もはや極東に実効的な影響力を行使する力はなかった。北京は、「地域の緊張を高める無責任な行動」と強い不快感を表明したが、シベリアへの影響力拡大という別の実利を計算し、当面は直接的な行動を控えた。
東京とハバロフスクで交わされた共同声明は、単なる領土問題の解決以上の意味を持っていた。それは、崩壊しつつある帝国の辺境で生まれた新しい国家が、生き残りをかけて、かつての敵と手を結び、新たな国際秩序を模索し始めたことを示す、歴史的な転換点だった。百年の対立を経て訪れた和解は、しかし同時に、新たな不確実性と対立の時代の幕開けでもあった。
第二十二章:太平洋の守護者
北方領土返還を含む共同声明の発表から数週間後、東京とハバロフスクで、歴史的な条約の署名式が執り行われた。「日本国と極東沿海共和国との間の友好協力及び相互安全保障に関する条約」。それは、両国の新たな関係を法的に裏打ちし、アジア太平洋地域の勢力図を塗り替える可能性を秘めたものだった。
条約は、相互の主権と領土保全の尊重、経済及び文化協力の推進、そして最も重要な点として、いずれか一方への武力攻撃が発生した場合、他方が自国の憲法及び法的手続きに従って支援を提供することを定めていた。具体的な協力内容として、自衛隊と極東共和国軍(旧ロシア軍部隊を再編)との間での情報共有、共同訓練の実施、装備や技術面での協力などが盛り込まれた。
そして、その最初の具体的な表れとして、条約発効から間もなく、日本海において、海上自衛隊と極東共和国海軍(旧太平洋艦隊基幹)による初の合同演習「パシフィック・パートナーシップ 」が実施された。
海上自衛隊からは、最新鋭の護衛艦「かが」を旗艦とする機動部隊が参加。一方、極東共和国海軍からは、旧式ながらも依然として強力なスラヴァ級ミサイル巡洋艦「ヴァリャーク」などが参加した。かつて仮想敵として睨み合っていた両国の艦船が、今は友好の旗を掲げ、同じ海域で協同作戦行動をとっている。その光景は、参加した多くの隊員にとって、感慨深いものがあった。
演習は、対潜水艦戦、対空戦、洋上補給など、多岐にわたるシナリオで行われた。海上自衛隊の練度の高さと装備の近代性は、極東共和国側の将兵に感銘を与えた。一方、極東共和国海軍が持つ大型艦の運用経験や、厳しい北方の海を知り尽くした航海術は、自衛隊側にとっても学ぶべき点が多かった。
演習期間中、護衛艦「かが」の飛行甲板には、極東共和国海軍のヘリコプターが初めて着艦した。両国の隊員が敬礼を交わし、言葉は通じなくとも、互いの健闘を称え合う姿が見られた。しかし、その友好的な雰囲気の裏には、依然として微妙な空気も流れていた。長年の対立の記憶、装備や指揮系統の違い、そして、この新たな同盟が本当に未来永劫続くのかという、双方の心の奥底にある一抹の不安。
演習の最終日、日没前のオレンジ色の光の中で、両国の艦隊が洋上で壮大な観閲式を行った。「かが」の艦橋からその様子を見ていた海上自衛隊の司令官は、隣に立つ極東共和国海軍の提督(かつては敵として分析していた人物)に静かに語りかけた。 「提督、我々は歴史の転換点にいますな」 「そうかもしれん」提督は頷いた。「だが、歴史は常に、新たな試練を用意するものだ」
その言葉通り、演習が行われている海域の周辺には、中国海軍の情報収集艦が常に姿を見せ、韓国の偵察機も頻繁に飛行していた。米国は現在の政治的混乱のために偵察機を派遣しなかった。それどころではないのである。太平洋は、新たな守護者の誕生と共に、新たな緊張の時代へと突入しつつあった。この合同演習は、友好の象徴であると同時に、未来の嵐を予感させる、静かな序章でもあったのだ。
第二十三章:龍の影
日本と極東沿海共和国による相互安全保障条約の締結、そして白昼堂々と行われた合同軍事演習は、北京の中国共産党指導部に大きな衝撃と、深い不快感を与えた。長年、自らの裏庭と見なしてきた極東地域で、かつての敵国である日本が、ロシアから分離独立した勢力と手を結び、軍事的なプレゼンスを確立しようとしている。これは、中国の安全保障環境にとって、看過できない変化だった。
中国外務省報道官は、定例記者会見で、厳しい表情で声明を読み上げた。「日本と、いわゆる『極東共和国』なる分離主義勢力との間の軍事同盟は、地域の平和と安定を著しく損なう、極めて危険で無責任な行為である。我々は、これに断固として反対し、強い懸念を表明する。関係各国は、歴史の教訓を真摯に受け止め、地域の緊張を高めるような行動を即刻中止すべきである」
言葉は強硬だった。しかし、多くの西側アナリストが予測したような、極東共和国への直接的な軍事侵攻や、国交断絶といった具体的な対抗措置は、すぐには取られなかった。北京の指導部は、別の計算をしていたのだ。
彼らの戦略的な優先順位は、ロシア系住民が多く、日本の直接的な支援を受ける可能性のある極東共和国との軍事衝突リスクを冒すことよりも、モスクワの統制が完全に失われた広大なシベリアへの影響力を確保し、そして何よりも、慢性的な水不足を解消しうるバイカル湖の水資源へのアクセスを確実にすることにあった。
北京の指令の下、中国の外交官や企業関係者は、シベリア各地で急速に勢力を拡大しつつあった地方指導者や武装勢力との接触を活発化させた。彼らは、唐や元の時代の歴史的紐帯を強調しながら、「シベリア地域のインフラ開発への全面的な協力」と「経済的繁栄の約束」を提示した。その見返りは、言うまでもなく、バイカル湖周辺地域への中国企業の進出であり、水資源利用に関する長期的な利権だった。国境付近では、演習の名目で集結した人民解放軍の一部が、道路やパイプラインの建設準備とも受け取れる活動を開始していた。
一方、日本と極東共和国に対しては、軍事的な威嚇行動が続けられた。合同演習の海域には、常に中国海軍の艦船が影のように付きまとい、時には危険な接近を行うこともあった。中国のサイバー部隊は、極東共和国や日本の政府機関、インフラ施設への攻撃を仕掛け、プロパガンダ放送は、日・極東同盟を「アジアにおける新たな軍国主義の復活」であり、「地域の不安定化要因」だと繰り返し非難した。
それは、硬軟両様の、中国ならではの老獪な戦略だった。直接的な戦争は避けながらも、軍事的・経済的・情報的な圧力をかけ続け、相手を疲弊させ、自らの影響力を着実に拡大していく。そして、アメリカが国内の混乱で身動きが取れない現状を最大限に利用していた。
極東共和国と日本は、同盟を結び、一時的な安定を得たかに見えた。しかし、彼らの背後には、シベリアの大地を着実にその影響下に収めつつある、巨大な龍の影が、ますます濃く、長く伸びていた。新たな時代の太平洋は、決して穏やかな海ではなかった。
第二十四章:未来への波紋
極東沿海共和国の樹立から、半年が過ぎた。季節は夏を迎えようとしていたが、北東アジアの地政学的な空気は、依然として冷たく張り詰めたままだった。
ヴィクトル・カザンツェフは、ハバロフスクの共和国首班として、その地位を固めつつあった。日本との安全保障条約は、脆弱な共和国にとって生命線となっていた。海上自衛隊との合同演習は定期的に行われ、経済協力も徐々に具体化し始めていた。北方四島は、予定通り日本へ引き渡され、両国間にはかつてない友好ムードが醸成されていた。しかし、その一方で、カザンツェフは眠れない夜を過ごすことも多かった。
中国は、極東共和国と日本の連携を公然と非難し続け、国境付近での軍事的威嚇をやめなかった。同時に、北京はシベリアへの影響力を急速に拡大していた。弱体な現地勢力を巧みに取り込み、「開発支援」の名の下に、バイカル湖周辺の資源と水利権益を着々と手中に収めつつあった。カザンツェフは、シベリアを緩衝地帯とすることで中国の直接的な脅威を逸らそうとしたが、その結果、自らの西側に、経済的・資源的に中国に深く依存する広大な地域を生み出してしまった。このアンバランスな状況が、将来どのような波紋を広げるのか、彼にも予測はつかなかった。
モスクワでは、FSB長官ディミトリ・パブロフが、混乱の末に実権を掌握し、新たな「秩序」を築こうとしていた。しかし、その権力基盤は脆弱で、国内の経済危機も深刻なままだ。旧ロシア連邦の他の地域でも、独立や自治を求める動きがくすぶり続けており、パブロフ政権は、かつての帝国のような影響力を取り戻すには程遠い状態だった。
そして、太平洋の向こう側では、超大国アメリカ合衆国が、深刻な国内分裂と政治的混乱の渦中にあった。もはや、アメリカは世界の警察官として、この地域の安定に積極的に関与する力も意志も失っていた。
そんな不安定な世界で、他の登場人物たちも、それぞれの道を歩んでいた。
アレクセイ・ペトロフは、エレナを助けた後、FSBを離れ、身分を偽って極東共和国のどこかの港町で暮らしていた。彼は、自分が加担した旧体制の崩壊と、その後に生まれた新たな混乱を見つめながら、静かに贖罪の日々を送っていた。時折、エレナが国外から発信する、ロシアや極東情勢に関する鋭いレポートを目にすることが、彼にとって唯一の救いだった。
エレナ・ソロキナは、国外に脱出し、フリーランスのジャーナリストとして活動を続けていた。彼女は、ロシアの断片化と、極東における新たな地政学的ゲームの危険性を、世界に向けて警告し続けていた。危険な取材も厭わず、真実を追求する彼女の姿勢は変わらなかったが、故郷に戻れる日は、まだ見えなかった。
アンナ・イワノワは、モスクワ郊外で、相変わらず厳しい生活を送っていた。幸いにも、息子のミーシャは、前線の混乱の中で生き延び、故郷に戻ってきた。それが、彼女にとって最大の希望だった。しかし、国の未来も、自分たちの生活も、不確実なままだ。彼女は、ただ、ささやかな日常を守り、息子と共に明日を迎えることだけを願っていた。
極東の短い夏。カザンツェフは、執務室の窓から、緑が濃くなった街並みと、その向こうに雄大に広がるアムール川、そして果てしなく続くかのような地平線を眺めていた。彼は、激動の時代の中で、一つの国家を誕生させた。だが、それはゴールではなく、新たな始まりに過ぎない。日本との同盟、中国との対峙、シベリアへの関与、そしてモスクワとの関係…。未来には、無数の波紋が広がっている。その波紋が、大波となってすべてを飲み込むのか、それとも、やがて静かな流れへと続いていくのか。それは、まだ誰にも分からない。
物語は、ここで終わる。だが、彼らが生きた時代の、そして未来への波紋は、これからも広がり続けていくだろう。