シンギュラリティサロン#15 美馬達哉「脳科学とエンハンスメント・その可能性と倫理」

さる2016年4月17日(日)、グランフロント大阪・ナレッジサロンにてシンギュラリティ・サロン「第15回公開講演会」を開催しました。

今回は、立命館大学大学院先端総合学術研究科教授の美馬達哉氏が、「脳科学とエンハンスメント その可能性と倫理」と題してお話されました。

以下、講演要旨です。

シンギュラリティの前段階である脳刺激やエンハンスメント(機能増強)といった、「人間の能力を増強すること」が一体どういう意味を持つのか。また、私の専門である神経内科・脳科学の領域で今、何ができるのか。今日はその現状をご理解いただけるといいかと思う。

脳神経倫理(ニューロエシックス)がなぜ必要か

私が立命館大学に移るきっかけの一つになったのが、脳神経倫理(ニューロエシックス)を調べたことだ。人間の脳は宇宙と同じくらい難しいなどと例えられるほど、脳を理解するのは非常に困難である。仮に脳内の情報を読み取れるようになると、その人が何を考えているかが解る。これは大問題だ。観察は科学の始まりである。そして観察して理解することは、強い言葉でいうと支配しコントロールすることとつながるのだ。例えば教育や宗教のように、言葉を使って人の心や行動を変えることはできるだけでなく、物質的なテクノロジーによっても変えることができるとすればどうなるのか?その限界はあるのか?どこまでやっていいのかという議論が今、でてきている。これらがエシックスにつながる。

脳科学の説得力

脳科学、脳神経科学には非常に説得力があることが知られている。マッケイブによる156人の生徒を相手にした「テレビを見ると数学の力が上がる」と授業で信じさせる実験がある。最新の科学研究で証明された事実で、テレビ視聴中の脳の活動野はここであると説明して、これが正しいと思うか否かを問うたものだ。棒グラフだけを見せて説明した際、生徒は懐疑的であった。一方で脳の活動野の画像を見せて説明すると、信じる人が増えた。皆さん、騙されないように、これからの話も注意して聞いてください(笑)。

情報の本質はオンとオフ、電気

私は脳神経内科の医師で、リハビリテーションに携わっている。病気の人に使う技術を健康な人にも使えるか?その場合には何が起きるか?これが脳科学技術のシンギュラリティにつながっていく。動きにくかった身体が動くようになるのは、脳が変わるからだ。従って脳内の信号を操作できないかという研究が進む。脳内の活動は電気の流れである。10億〜100億の神経細胞がセットで情報を使って動いている。情報の本質はオンとオフ、それは電気だ。コイルのようなものに電流を流すことで、脳内の情報をコントロールできる。これをリハビリに応用することもできる。外部刺激で自力の場合と同様、トレーニング効果は倍増する。

1903年に人間に直接、磁気を当てた初めての実験が行われた。それが、現在の経頭蓋的磁気刺激法(TMS)のはじまりだ。1985年には蓄電池に強い電気をためてコイルに流すと強い磁場ができた。例えば、これを脳に与えると手足がぴくっと動く。繰り返すとトレーニングと同等の効果が得られる。現在のTMSも蓄電池である以上、30年前のこの機械からさほど進歩していない。強い磁場をかけるためには限界があってモバイルにはできない。

電磁気学的な手法

最初の脳電気刺激の実験は1804年、ジョバンニ・アルディーニがうつ病治療にボルタ電池を使用した実験だ。平賀源内のエレキテルのようなもので割と流行った手法である。みんなで輪になって静電気を通してぴりっとさせる治療もあったという。当時は電池や磁場は目新しいもので、「鰯の頭も信心から」ということわざもあるとおり、よく効いたらしい。

脳の中に直流電流を流す直接介入は今、どこまでできているか。今から実演する。(黒いキャップを取り出しセッティング)こちらのキャップにはスポンジがついていて、これを塩水で湿らせる。2ミリアンペア、10〜15ボルトだ。先ほどの磁気刺激装置の時代は、電池は持ち運びが困難な大きさだったが、今はこのようにモバイルが可能になった(キャップを装着して実演開始、「Starstim」を起動)このキャップ上に電極が4つほどある。真ん中をプラス、その周りをマイナスにしてある。そうするとプラスのところだけ電気が一番よく流れる。同時に脳波も計測できる。装着している人が感知できない程度の電流が流れ脳刺激する。今は、これで右の前頭葉を刺激してみる。2000年代からは研究がどんどん行われ、健康な人の左脳を刺激する実験があった。これは認知能力をチャージすることができるのではないかという話だ。「思いつく単語を挙げてください」という実験で、アノード刺激の結果10%以上成績が上がった。

記憶だけでなく感情のコントロールを試みる、意思決定(ゲーム理論)の実験もあった。Aさんに「千円をあげます。Bさんとうまく分けてください。Bさんが配分率に同意したら、千円あげます。同意が得られないと2人とも1円も得られません。」というものだ。これは、最後通牒ゲームといってゲーム理論でよく研究されている。通常は配分6:4で合意、7:3だとほとんどのBさんは拒否する。これが人間の心理のようだ。この「拒否する」場合に活動する脳が、「左」前頭野だといわれている。ここの働きを強めたり弱めたりするとどうなるかという実験があった。右脳と左脳は反対の働きをするため、「右」前頭前野への刺激を強めると最後通牒ゲームの受け入れ率が上がった。

脳への介入のマイナスイメージ

2ミリアンペアで10から15ボルト程度であれば問題ないが、これが200ボルトになると大変よろしくない結果を招く。痙攣して電気ショック療法、電気椅子のような命に関わる事が起きるからだ。よろしくない結果といえば、一番、悪名高いのはロボトミーだ。目と脳の間、涙腺の管を通れば無菌かつ骨が薄いためそこからアイスピックそっくりの器具を入れて脳を切断した。これはポルトガルの医師アントニオ・エガス・モニスが発見した「精神外科」というもので、1949年にノーベル賞を受賞したが今は否定されている。今でいう統合失調症の治療に用いられたが効果はあまりなかった。この失敗が、「脳への介入」への大きなマイナスイメージになった。患者の性格や人格、根本を変えるのではないかという印象が生まれた。映画「カッコーの巣の上で」(ミロシュ・フォアマン監督、1975年)はジャック・ニコルソン演じる患者が脳外科手術を受ける物語で、社会問題化した。

動物実験では60年代にかなりのことができていた。ホセ・デルガドらは、猿の脳の一部に電極を入れてリモコンで脳刺激し、コントロールした。今から考えれば、本当に運動を制御していたのかあるいは意識が半分無くなるようなことだったのか疑わしい。今の倫理基準では動物虐待として問題になる実験で、現在ではアメリカでは空港並みのセキュリティチェックがある研究所で行われるような実験だ。

脳神経倫理学の誕生

もちろん、精神疾患への外科的アプローチが絶対悪というわけではない。注意して行う必要があるということだ。これらの問題を起源として「脳神経倫理学(ニューロエシックス)」が今問題になっている。ニューロエシックス(Neuroethics)は、2000年頃から始まった。そして、ロボトミーのような明らかな失敗以外のものが問題になってきている。それが最初にお話したエンハンスメントだ。それは健康な人に適用されるもので、治療を超えた医学技術のことだ。治療ではなく一般の誰にでも脳科学の成果が応用されたらどうなるか。これはシンギュラリテイにつながってくる問題といえる。米国では2003年頃に医学技術が治療目的以外に使用されるとどうなるか、という問題が活発に議論された。

認知的機能や脳内物質が解ることで、知的能力についても人為的な増強ができないかという問題が出現する。知的能力を人工的に増強させることは脳ドーピングとも呼ばれる。運動能力を変化させるものは、ステロイドのように筋力増強に役立つものと、向精神薬、精神疾患に使う薬のように興奮させる働きのものがある。医療技術もシンギュラリティに向かって指数関数的に進んでいく性質がある。病気の人は副作用と効能を比較して使用するしかないが、副作用がないなら健康な人にもリスクはないので使ってかまわないという方向へ進む。副作用が事前チェックできれば、シンギュラリティ的に薬とサプリメントの違いがなくなる。それを目指してテクノロジーは進化する。薬がビタミンと変わらない扱いになる可能性がある。

米国でのエンハンスメント研究は、DARPA(読み方:ダルパ 米国防総省・国防高等研究計画局)の軍事関係の予算がついていることが多い。軍事下では24時間体制で作業効率がよく、ミスが少ないことが望まれる。このように人の認知能力を向上させる研究は、大きく軍事予算に拠って成り立っている面がある。

エンハンスメントの問題と限界

以下の3点が議論されている。

①エンハンスメントとトリートメント(増強と治療の考え方の違い):今はインフォームドコンセントが主流で、「患者さんがどうしたいか」を考えて医療者が援助する形だ。治療であれば、緊急かつ必要性があるため治療の有効性さえ解っていればあまり規制はいらない。健常人にエンハンスメントとして使う場合は厳格なルール整備が必要なのではないかというのが日本、欧州の考え方だ。それに対してアメリカは全く逆の考え方がある。患者への医療行為は医療法などで法規制があって免許のある資格者のみが行うが、それ以外の健常者は自分の体を自由にしてよいという発想だ。それだけでは困るのは当然なので、倫理的なガイドラインの必要性が言われている。

②エンハンスメントとアチーブメント(増強と達成感の違い):文化的な視点で、機器を使った「ある人間の達成」はどういうことかという議論だ。能力増強した人間と、増強していない人間の間での勝負や優劣をどう扱うかということだ。規制というより価値観の問題と言える。人工的なバイパスを使って能力を向上させることを、どう位置付けるかということだ。英語では「努力なしでの成果Gain without pain」と言われ、不正のような意味合いがある。

③エンハンスメントの商業化:法的規制がないと、歯止めが効かなくなるのではないか、ということだ。過大広告、格差社会の問題もある。エンハンスメントが実現したとき、それを購入できる人とできない人で能力の違いが生まれる社会、「お金で能力が買えるようになるとどうなるのか」という議論は、徐々にリアルなものとなってきている。

以上が、脳神経倫理学のなかで問題になっている点だ。「人間に医療技術が応用されたらどうなるか」という話は、70年代80年代に「遺伝子技術で人間はどうなるか」という議論があった。脳科学の扱われ方は、当時の遺伝子操作が問題視されていた状況と似ている面もある。

総括すると、「脳への介入」方法には物理的な外科、薬剤を用いた化学、そして脳細胞活動に介入する電磁気学の3種類がある。生物学もあるが、ナノテクの人間向けの実用化はまだまだで、遺伝子操作の場合は人の成長という数十年のスパンが必要だ。従って、生物学を使った介入は人間の場合はまだ道が遠いであろう。物理的な介入は、外科手術なのでなかなか困難だ。化学的な方法つまり薬剤はいまどんどん進歩しつつある。同時に、電磁気的な手法も今はこのキャップのようなモバイル化が進んでいる。電池が小型化して簡単な仕様になっていくため今後、台頭していく領域ではないだろうか。

(報告:とりやまみゆき)

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*講演資料: