名称: シンギュラリティサロン 第 29 回公開講演会
日時: 2018年6月2日(土) 1:30pm 〜 4:00pm
場所: グランフロント大阪・ナレッジサロン・プレゼンラウンジ
主催: シンギュラリティサロン
共催: 株式会社ブロードバンドタワー、
一般社団法人ナレッジキャピタル
講師: 津田 一郎氏 (中部大学 創発学術院 教授)
演題: 『創発インタラクション: ダイナミクスが生み出す知の可能性』
講演概要:
IoT 時代のヒトを取り巻く環境は熱浴的なものではなく複雑にネットワーク化されたものです。このような複雑系である環境に対して適応的に働きかけ情報を獲得するようなインタラクションとは何でしょうか。私たちは現在 JST の CREST プロジェクトにおいてこの問題に多角的に取り組んでいます。
本講演では、プロジェクトの全体構成を概説し、特に私のグループで進行している研究について紹介します。鍵になる概念は典型的には脳の機能分化に見られるような拘束条件付き自己組織化で、これはプロジェクト全体の骨格をなします。
拘束条件付き自己組織化理論とはシステム全体に拘束がかかった時にシステムを構成すべき部品=機能成分が自己組織する仕組みを解明する理論です。これは従来の自己組織化理論がミクロな原子分子の相互作用によってマクロな秩序構造が生み出される仕組みを解明することに対比して、マクロなシステムから機能的なミクロを生成する原理の探求であると位置づけられます。その理論構成と具体的な応用例を紹介します。
私たちはこの問題を解決することで、自身のシステムを機能分化させることで環境に適応していくような知的エージェントが構成されるという見通しを持っています。この意味において、私たちの研究は最近の神経回路網の学習理論を取り入れた人工知能の研究と交叉するものであり、ヒトの意識や無意識の在り方を深く考えるきっかけを与えてくれるものと考えています。
定員: 100名 + α
入場料: 無料
https://s-salon-29.peatix.com/
聴講者: 小林 秀章 (記)
【タイムテーブル】
13:30 〜 15:00 津田 一郎氏 (中部大学 教授) 講演
『創発インタラクション:
ダイナミクスが生み出す知の可能性』
15:00 〜 15:30 自由討論
【ケバヤシが聴講する狙い】
シンギュラリティサロンにおいて津田 一郎先生の講演が実現したことそれ自体にちょっと感激している。初っ端からたいへんずうずうしい物言いになるが、今回のは私が聴講しに行ったというよりも、私のために津田先生が講演に来てくださったような感覚だ。
今回の開催に至る裏話については、イントロで松田先生が明かしてくださったので、ここにも書いておくと、私の働きかけが奏功してこうなったのである。
津田氏の講演を最初に聴講したのは 2018年3月5日(月) のことで、3月23日(金) にレポートしている。
http://bn.dgcr.com/archives/20180323110100.html
『脳領域/個体/集団間のインタラクション創発原理の解明と適用』と題するこの講演会は、JST CREST に採択されたプロジェクトのキックオフシンポジウムという位置づけである。5.5 か年の計画のうち、最初の半年が経過した時点で開催され、津田氏の率いるプロジェクトの構想がお披露目された。
「意識の謎」は根源的な問いであり、謎が深すぎてかねてより悶々としてきた私だが、それと関係がありそうな研究テーマなので、ものすごく興味があった。シンポジウムでは、津田氏からの概要説明に続いて、招待講演や、プロジェクトを構成する各グループの代表者からグループ紹介があった。
津田氏が登壇した 40 分間では、プロジェクトの概要紹介が中心で、根源的な問いにアプローチするための核となるアイデアに関する説明が駆け足になり、私には消化しきれなかった。けど、今までに見聞してきたものとは異なる、何か独特なものが感じられた。
後から、著書『心はすべて数学である』を読んでみた。タイトルからして超越的な発想を感じさせるが、中身もやや突飛な感じのする言説がてんこ盛りだった。もっとまとまった時間、話を聞きたい。
シンギュラリティサロンのスタッフでも何でもない立場から差し出がましいのは承知しつつも、主宰する松田氏に、講演者としてどうでしょうかと提案するメールを送ってみた。一方、津田氏には、講演していただけないでしょうかと打診するメールを送ってみた。双方からいい返事がいただけた。
お二人とも京都大学で物理学を専攻されていて、富田 和久先生から教えを受けていたりと、近いご縁があることが判明した。富田氏の最終講義の内容が記録されていておもしろそうだが、まだ最後まで読み切れていない。
https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/92324/1/KJ00004774396.pdf
意識の謎に対して、津田氏は創発説の立場をとる。つまり、脳神経細胞ひとつひとつに意識が宿っていなくても、それらのシナプス結合の階層的な構造から、下位になかった性質が上位階層から立ち現れるというものである。量子論に立ち入る必要はなく、ニュートン力学の範囲内で説明可能とする。
ただし、一定の条件を満たす構造が整えば、その上に自然に意識が宿るとするボトムアップの発想とは逆向きなところに特徴がある。「要素が相互作用してシステムができるのではなく、システムが働くことで要素が生まれてくると考える」。
2018年7月9日(日) と 10月21日(土) にそれぞれ大阪と東京で開催されたシンギュラリティサロンにおいて、金井 良太氏 (株式会社アラヤ代表取締役) から、意識の謎について、数理的に表現された代表的な仮説が二つあることが述べられた。
ひとつは、カール・フリストン氏の「自由エネルギー原理」で、もうひとつは、ジュリオ・トノーニ氏の「統合情報理論」である。後者では、意識の正体は、情報を統合する機能にあるとしている。脳など、情報伝達のネットワーク構造における、情報の統合性のよさを表す指標 Φ を定義している。Φ は、部分の総和からは説明しきれない、ネットワーク全体から生成される内部情報量を表す。言い換えれば、創発の指標である。
津田氏の講演はタイトルに「脳領域」、「創発原理の解明」などの語が並ぶのに、話の中身では統合情報理論にまったく触れられなかった。質疑応答の時間が設けられたので、そこを聞いてみた。
すると、あえて触れなかったのだという答え。あれは底が浅いのだとか。津田氏の構想は、どちらかというと自由エネルギー原理に近い、とのこと。この質問が出ることを見越したかのごとく、前述の著書にも答えが書いてある。「ジュリオ・トノーニは意識を数式で書くことができるといって、実際にその式を示している。しかし、内実はただの記号の羅列にも等しく、ほとんど「寿限無寿限無」と言っているのと変わらない印象だ」。もう、けちょんけちょん。
自由エネルギー原理とも統合情報理論とも異なる、津田氏のアイデアの骨格は「拘束条件つき自己組織化理論」にある。「あるマクロな拘束条件があって、この拘束条件を満たす形でシステムが組織されていったときに、そこに部品ができてくる」。
例えば、自転車を例に取ると、タイヤ、ペダル、サドル、ハンドルなどの部品を組み上げ、完成したことをもって初めて自転車として機能するが、これはボトムアップな過程である。鉄やゴムなどの素材に対して、外から「自転車として機能せよ、せよ」と圧力をかけると、「じゃ、私はタイヤになろう」、「ならば、私はペダルになろう」という具合に、機能分化が自主的に起きる、というのが拘束条件つき自己組織化である。もちろん、自転車に関してそんなことは決して起きないのだが、それはたとえの問題であって、脳の機能分化のメカニズムはそんな具合になっているらしい。
一般に「心」と言えば、個人個人にそれぞれ内在するものというイメージで捉えられがちだが、津田氏は、それとは別に、誰に宿るかによらない共通項として「普遍的な心」があるものと仮定している。この普遍的な心が拘束条件の役割を果たし、脳を発達させ、脳活動を変化させ、結果として個人個人の中に心が形成されていくと考える。「私の脳に宿るものというのは、どうやら最初は他人なのではないか」。
普遍的な心の正体は数学そのものであるという。数学は心であり、心は数学である、と。「抽象化された普遍心こそ、数学者が求めているもので、数学という学問体系そのものではないか」。
「脳内がカオス」と言ったら、考えがとっ散らかって、まとまりがつかない状態を思い浮かべるかもしれないが、津田氏の提唱する「カオス的脳観」は、そういうことではない。例えば気象現象などのように、決定論的であるにもかかわらず予測ができない運動があり、これをカオスと呼ぶ。
予測ができないのは、いわゆる「バタフライ効果」のせいである。「ブラジルで一匹の蝶が羽ばたきすると、それがテキサスで竜巻を引き起こす」とたとえられる。現在の状態にほんのわずかな撹乱を与えると、その撹乱が与えられなかった場合と比べて、その後の系の状態が大きく異なっていく現象をいう。
ニュートン力学の範囲内では、物理現象は時間に関する常微分方程式で記述されている。「存在と一意性の定理」というのがあり、初期値が決まると、その後の挙動が枝分かれすることはなく、一本道で決定づけられることが保証される。つまり、ものごとの進行は決定論的だということになる。ビッグバンが起きた時点で、今日、私が昼メシにカレーパンを食べることは運命づけられていたというわけだ。偶然や自由意志の入り込む余地など、まったくない。
ところが、計算機でシミュレーションすることによって未来を予測しようとすると、非常にやっかいなことが起きる。計算の過程で、ほんのわずかでも誤差が入り込むと、その誤差がどんどんどんどん拡大していき、本来の軌道から大きく外れてしまう。結果、まるで見当違いの未来予測をしてしまう。誤差ゼロで完璧な計算をしないことには、予測が成り立たないのである。とは言え、計算機の上で実数値を無限大の精度で扱うことはできない相談である。気象現象がそんな具合になっており、天気予報が難しいとされるゆえんである。
脳内でも、このカオス現象が起きているらしい。「脳の機能はカオスの存在によって現れてくる」という仮説を掲げており、これが「カオス的脳観」である。「動物はカオスが生まれているときのみ記憶をしている」。
「たとえ決定論的であっても、そこにカオスが内在していれば偶然性 (randomness) が生まれてくる。つまり、自由意志が生まれてくる。脳の中にカオスが生じることによって私たちの心に自由度が与えられる」。えええっ、ホントですかい?
カオスを研究していると、どうしても無限との闘いに引きずり込まれるらしい。その構造は、「ゲーデルの不完全性定理」と似ているという。この定理は、量子脳説を唱えるロジャー・ペンローズ氏も引き合いに出している。ペンローズ氏は、われわれの意識は計算的ではないため、通常のノイマン型の計算機の上に実装することはできないという。
意識のメカニズムを説明するには、どうしても量子論を持ち出さなくてはならず、しかも、まだ発見されていない物理法則が発見されてからでないと、完全に説明しきることはできないという。津田氏が同じ定理を持ち出してきたのは、これとは文脈が異なるようだ。しかし、意識の問題を論ずるのに、この定理を絡ませてくる発想は、どこか天才的なものを感じさせる。
著書から伝わってきた津田氏の構想はだいたいこんなところだが、字面をなぞった程度のものにすぎず、中身の理解にはとうてい及ばなかった。今回の講演を聴講することで理解が進むのではないかと、非常に楽しみにしていた。
アラン・ケイ (Alan Key) 氏は次のように言う。「未来を予測する最善の方法は、自らそれを創りだすことである」。続きを私が言おう。「未来を予測する次善の方法は、自らそれを創りだしそうな人をウォッチしていることである」。天才ウォッチ。
【内容】
□ イントロ
今回、津田氏をお呼びした経緯について松田氏から説明があった。立ち上がって軽くお辞儀したら、大きな拍手が起きてしまい、身が縮む思いであった。
「今回も天才をお呼びしました」。
□ 自己紹介 — 研究歴
京都大学で、富田和久先生に師事。
物理の中でも物性。
物性の中でも統計力学。
物理色が弱く、どちらかというと数学。
熱力学の中でも、非平衡系に興味があった。
平衡系の近傍ではなく、うんと離れた領域。
非平衡状態を保つには拘束条件が必要と言われていた。
1960 年代当時、物理でカオスの理論がなかった。
しょうがないので、数学から入る。
決定論的な原理からでも、確率論的な現象が生じうることが分かった。
逆に言えば、確率論的な現象が起きているとき、ミクロな原理は確率論的である必要はなく、決定論的であってよいということ。
カオスは摩訶不思議なものだ、ということで、のめり込む。
カオスは情報理論的にみると、どういう性質をもっているのか。
情報を生み出す源泉になりうるのか。
ここ 20 年ぐらいのことだが、数学者の Gelfand 氏の言葉に触発された。「適正な言語としての数学」。数学は言語である。理論を記述する言語として普遍的なものがある。どんな分野でも、筋道を立てて発展していくためには理論が必要。理論を記述するための分野横断的な共通言語は必然的に数学にならざるを得ない。
□ 脳とインタラクション
脳は孤立していてもある程度機能するけれど、基本的には外部とインタラクション (相互作用) している。お腹の中にいるときから脳は孤立していなくて、すでにインタラクションが始まっている。
ましてや、生まれてからは、インタラクションがどんどん活発になっていき、外部とコミュニケーションを通じて、個々の脳が発達していく。それぞれの脳が自力で発達して、それから相互作用が始まるのではない。
コミュニケーションがうまくいっているときは、発話者と聞き手との間で、脳の同じような部位が発火している。
□ 作業仮説: 心はすべて数学である
本のタイトルは『心はすべて数学である』となっているが、もともとは逆で、「数学は心である」と考えていた。
数学は、物理学や化学や生物学や経済学などの下請けのためにあるのではない。外界に何も現象が起きてなくても、数学は数学として成立する。内側にあるものが外へ出ていったものが数学である。自然言語に近いものがある。
個々の心が形成される以前に、普遍的な心というものがあるのではないか。それは数学で表現できるのではないか。
普遍的な心が生物学的器官である脳を形成する。
普遍的な心が個々の脳を通過するとき、個々の心が生まれる。
脳科学では、脳の機能を明らかにしていけば、それが心につながると考えている。つまり、脳の何らかの活動が心なのではないかと考えている。
最終的にはその通りで、脳の活動がわれわれの心を表現するようになるのだが、そうなる前の発達段階においては、まわりからみんなの心の影響を受けている。
□ カオスとは何か?
決定論的な運動であっても、本来の軌道に対してほんのわずかなズレが生じただけで、その後の軌道がどんどん離れていくことがあり、これがカオス現象のひとつの特徴になっている。ちょっとの違いが、時間経過にしたがって大きな違いになっていくことを「拡大的」であるという。
逆に、本来の軌道に対して、ある程度大きなズレが生じたとしても、次第次第に元の軌道に漸近していき、ズレの影響が解消されていくとき、「縮小的」であるという。
時間の進行にしたがって拡大的であるならば、時間を逆回ししたら縮小的になるのか? 時を遡って元をただせば、すべての軌道がたった一本の軌道に端を発しているのが分かるのか? そうはいかない。カオス現象においては、どの時刻をとっても、空間が拡大する方向と縮小する方向が同時にある。時間を逆回ししても、やっぱり拡大と縮小が共存するのである。
縮めていた両腕をだんだん横へ伸ばしていくのと同時に、伸ばしていた首と足をだんだん引っ込めていくような感じ。
ロバチェフスキー空間 (双曲空間) を使うとカオスがうまく表現できる。非ユークリッド空間。時間の正の方向にも負の方向にも互いに漸近する軌道の束が存在する。
□ ものを測るとは?
フラクタル次元について。詳しく説明するのを省略するので、ネットで調べるなりして、もし分からなかったらメールをください、とのこと。
(ケバヤシ注) カントール集合のフラクタル次元については、Wikipedia の「相似次元」の項に解説が書かれている。
□ JST CREST のプロジェクトについて
「脳領域/個体/集団間のインタラクション創発原理の解明と適用」。
半年間の準備期間を経て、3 月にシンポジウムを開いた。
そこで、セーラー服おじさんに捕まった。
このプロジェクトがうまくいけば、創発インタラクションの原理をロボットに組み込み、複雑な局面に直面したとき、その状況に応じてロボット内の脳に相当する部分が自主的に機能分化して、多様な状況に柔軟に対応できるようになる。
作れるところまで到達できるかどうか分からないけど、少なくとも青写真までは持っていきたい。
課題提案:
1. システムに拘束条件がかかることで機能的なシステム部品が自己組織される原理は何か?
2. 人間社会において個より機能の優れた集合知が可能か?
これらを
・ 数学・情報科学技術
・ 認知科学
・ 社会科学
・ 脳科学等
の学問分野と連携し、
・ 人間理解
・ 社会デザイン
・ 構成論的アプローチ
の共創により解決していきたい。
□ 従来の自己組織化と拘束条件つき自己組織化
上記課題提案 1. は自己組織化の問題だが、従来とは考え方が少し違う。従来の自己組織化は、ミクロな要素の相互作用によってマクロな時空間秩序が起こるという、ボトムアップの考え方だった。
一方、拘束条件つき自己組織化とは、システム全体に外部から拘束条件がかかることによって、内部の未分化な構成要素が自律的に分化していき、システムの要素やサブシステムが形成されていくという、トップダウンの考え方をとる。
細胞に対して、外から物理的に引っ張ったり振動させたりといったストレスをかけると機能分化することがすでによく知られている。ただし、万能性を発揮するかどうかが難しいところ。余談だが。
この拘束条件つき自己組織化という現象を数学的にモデル化したい。そんな難しいことができるのか、という話だが、成功例がいくつかある。
拘束条件つき自己組織化理論の適用例:
1. 力学系ネットワークの進化ダイナミクスから要素としてのニューロンとニューラルネットが自発生成
2. 振動型ニューロンネットワークの進化ダイナミクスから構造的に異なるモジュールが分化
3. 非シナプス性結合における同期する進行波解の存在条件の導出
4. レビー小体型認知症患者が経験する複合型視覚性幻覚の神経機構解明に向けて
上記 1., 2. についてもう少し詳しく述べる。
□ 数学でニューロンを作る
実験室で、未分化な細胞を培地の上に置いておくと、だんだんニューラルネットが形成されてくる。その過程で、それぞれの細胞が神経細胞などに分化していく。
やればそうなるが、どうしてそうなるのか、数学的な原理原則が分かっていなかった。われわれは、この現象を数学のモデルで再構築したい。「数学でニューロンを作る」。
1 次元離散力学系を取り上げる。離散と言っているのは、時間が自然数の値をとるということ。通常の連続進行ではなく、クオーツ時計の秒針のごとく、ポンポンポンポンと飛び飛びに時間が進行するモデル。一方、状態は実数値をとる。初期値が決まれば、時刻 1 のときの状態が決まり、それが決まると時刻 2 のときの状態が決まり、… 以降のすべての時刻における状態が順次、決定論的に決まっていく。
最初の例では、状態が 1 点に向かって収束していく。外から時系列的な情報が入ってきても、それとは無関係に内部の状態が遷移するので、外から入ってきた情報を内部に伝えることができない系になっている。
これではしょうがないので、外から来た情報を最大限、中に伝えられるよう、そのように機能する要素を選抜せよ、という拘束条件をかけてみる。進化の過程を経て生き残った力学系は、けっこう安定している。別のものに差し替えて再進化させても、結局ここへ落ちつく。
この生き残った最強の力学系は、入力信号が閾値 (しきいち) よりも高いか低いかに応じて、パルス信号を発したり発しなかったりするという性質をもち、これはニューロンの発火と類似の興奮性を示している。
つまり、外から入ってきた情報を最大限、システムの中に伝えようとするならば、結局、ニューロンと同等の機能を呈する要素に分化せざるを得ないことが示唆された。
□ 機能モジュールの生成
脳の機能分化を取り上げる。脳というのは、後頭部が視覚野に分化していき、側頭部が聴覚野に分化していき、前頭葉は言語野に分化していく。この現象も、数学のモデルで記述したい。
脳のモジュール間の結合は非対称。前方送り (feed-forward) と後方送り (feed-back) が対称的ではない。
ブロードマンの機能地図に示されているように、脳のどの部位がどんな機能をつかさどるかは、普遍的に決まっている。遺伝子に書かれている設計図どおりに分化していく。
最近判明したのだが、脳の機能分化は遺伝子に書かれているとおりに進行するだけではない。今現在、与えられているタスクの状況に応じて、臨機応変に機能分化する現象が確認されている。タスクを差し替えると、また違うところが分化する。しかし、その原理や拘束条件は未解決。
これをモデル化したい。各要素のダイナミクスをある数式で定義した。モジュール 1 とモジュール 2 の間の結合を最初はランダムに設定しておくが、ネットワークが発展していくにつれ、ネットワークの中で機能モジュールが創発した。
□ カオス的遍歴仮説
(津田氏の脳観の中心的な仮説なのだが…) 説明が長くなるので、飛ばす、と。自分が気合いを入れて取り組んだところは、どうしても説明がディテールにわたりすぎて聞き手を退屈させてしまいがち。あえて割愛。
□ 心と脳のさまざまな説
1. 心脳一元論
M1 観念論: すべては心である
M2 中性的一元論: 未知の中性的実体が心と脳の物理現象に分かれて現れる
M3 消去的唯物論、行動主義: 心は存在しない
M4 還元的唯物論: 心は脳の物理的状態の集合に還元できる
M5 創発的唯物論: 心は創発的な脳活動の集合である
2. 心脳二元論
D1 心脳独立論 (autonomism): 心と脳は独立している
D2 同時並行論: 脳の物理現象と心は平行的、同時的に生じる
D3 随伴現象論: 脳が心を引き起こす
D4 精霊説: 心は脳を制御する
D5 相互作用論:脳は心の基礎だが、脳は心によって制御される
津田氏の考えは、D5 に割と近いとのこと。一方、現代の脳科学者は、だいたい M4 か M5 の立場で研究していると思う、と。
(ケバヤシのコメント)
絶望的。実績ある著名な先生方が、基礎の基礎のところでこれだけばらんばらんなことを言っている。ということは、われわれはまだ山のふもとにいて、どの山に登ったら宝が埋まっているか、ぐらいのレベルのことを言い合っているような段階だ。真相解明まであと 300 年はかかるのではなかろうかという気がどうしてもしてしまう。
□ 統合情報理論について
ジュリオ・トノーニ氏は、意識に関する仮説として、統合情報理論 (Integrated Information Theory; IIT) を提唱している。ネットワークに対して、意識の量を表す Φ という指標を定義している。しかし、その数式は怪しげで、意味をなしているようにはみえないという。
大泉 匡史 (まさふみ) 氏らは、情報幾何学を使って、統合情報量 Φ とはこういうもんだ、と言っている。これは、けっこうちゃんと意味がある。結果がすっきりとまとまっていて、すばらしい。
大泉氏は現在、株式会社アラヤのマネージャである。かつて、ウィスコンシン大学でトノーニ氏と同じ研究室にいた。また、トノーニ氏はアラヤの技術アドバイザーも務めている。大泉氏の統合情報量は、理化学研究所在籍時代に提唱したもので、理研のウェブサイト内に 2016年12月7日(水) 付で解説が掲載されている。
http://www.riken.jp/pr/press/2016/20161207_1/
簡単のため、ネットワークの要素が 2 つしかない場合を取り上げる。脳神経細胞が 2 つしかない場合に相当する。
時間のステップが 1 だけ進む際に、2 つの要素が互いに影響を及ぼし
あって、それぞれが自身の状態を変化させる。
x1: 第 1 の要素の過去の状態
x2: 第 2 の要素の過去の状態
y1: 第 1 の要素の未来の状態
y2: 第 2 の要素の未来の状態
とする。ベクトル表記して
X = (x1, x2)
Y = (y1, y2)
とする。X はネットワーク全体にわたる過去の状態、Y は未来の状態を表す。過去と未来を合わせた確率分布を p(X, Y) と表記する。確率分布全体からなる多様体の中で、p(X, Y) はある 1 点に相当する。
次に、要素 1 と要素 2 とが分断されて、お互いに連絡がない場合を想定する。この制約の下での確率分布を q(X, Y) と表記する。先ほどの多様体の中で、すべての q(X, Y) からなる空間は部分多様体をなす。この部分多様体を M と表記する。
この系の統合情報量を、p(X, Y) の q(X, Y) に対するカルバック・ライブラー情報量の最小値によって定義する。
カルバック・ライブラー情報量 (Kullback-Leibler divergence; KL divergence) は、2 つの分布どうしが似ていない度合いを表し、0 以上の実数値をとる。両者が完全に一致するときに限り、値 0 をとる。エントロピーのディメンジョンをもつ量である。
「KL 距離」と呼ばれることもあるが、対称律が成り立たない (A 地点から B 地点までの距離と B 地点から A 地点までの距離とが一般に等しくならない) ので、数学的には距離の公理を満たしていない。
統合情報量を幾何学的に言うと、次のようになる。p(X, Y) から部分多様体 M に下ろした垂線の足を q*(X, Y) と表記する。すると、先ほど定義した統合情報量は、p(X, Y) の q*(X, Y) に対する KL 情報量に等しい。
トノーニ氏の統合情報理論をあれほどけなしていた津田氏だが、大泉氏の提唱した統合情報量については「ここまでやってくれればすばらしい」とほめていた。
(ケバヤシのコメント)
大泉氏とは、3月に一度だけお会いしたことがある。津田氏が講演で大泉氏の研究成果を取り上げた件をメールでお伝えすると、返信がいただけた。「津田先生からお褒めいただけたとのこと、大変嬉しいです」。
津田氏と大泉氏は、昨年初めて会っているという。お互いに好印象だったようだ。「津田先生とは機会を見つけて、また議論させていただきたいなと個人的に思っているところです」とのことで。そんな議論をするなら、私はぜひとも傍で黙って聞いていたい。シンギュラリティサロンで実現したりしないかな〜、なんて。
【所感】
2 時間にわたってたっぷり話を聞くことができ、しかも、話の内容が非常に密度の濃いものであったため、得ることのできた情報量に圧倒されていると同時に、ものすごく満足している。
カオス的脳観、拘束条件つき自己組織化など、津田氏独特の考え方をざっと眺め渡すことができた感じがしている。
しかしながら、深遠な思想をちゃんと消化吸収するのは容易なことではなく、納得感をもって自分の中に取り込めたかというと、かなり心許ないものがある。情報が入ってきたというレベルにとどまり、ちゃんと分かったというレベルにまでは至ってないんじゃなかろうか。
このレポートを書いているのも、ひょっとすると哲学的ゾンビの仕業みたいなもんで、実は機械的に要約しただけで、中身の理解をまったく伴っていないのではなかろうかと若干心配になっている。
マクロなレベルの理解としては、アトラクター間を渡り歩くというカオス遍歴とは、結局どういう現象のことを指して言うのか、一番肝心なところがつかめただろうか。
また、無限との闘いという感じも、ピンと来ていない。例えば、「今度、飲みに行こうぜ」「いいよ、いつがいい?」「いつでも」といった会話において、「いつでも」の候補は無限大であるけれども、それについて、特に困難性を感じない。
無限集合において部分が全体に等しいとか、無限どうしでも、可算濃度や連続濃度など、大小の違いがあるとか、それを示すのに使う対角線論法と同じロジックをゲーデルの不完全性定理の証明にも使うとか、数学においては無限との闘いがよく生じる感覚がある。選択公理もあるし。
しかし、日常においては、それに類する闘いを意識することはまずない。意識にのぼらなくても、脳が機能分化する過程において、無限と闘っているのかもしれないけど、その感じ、ちゃんと分かりたいなぁ。
おそらく同じことだが、脳のメカニズムを論じる文脈で、カントール集合やら、ゲーデルの不完全性定理やらが持ち出されなくてはならない意味がさっぱり分かっていないと言える。ちゃんと分かりたいなぁ。
「心」からくるイメージと「数学」からくるイメージとの間には、やっぱりものすごく大きな乖離があって、「数学は心である」あるいは「心は数学である」というのが、どうにもこうにも突拍子もない感じがして、なかなか解消できない。仏教で言うところの「一如」みたいだなぁ。
ミクロなレベルでは、津田氏の提唱する数理モデルについて、数式やロジックを追う形で、中身をちゃんと理解できていない。こういうのは一般向けの著書や講演ではどうにもならず、やはり、論文にあたらなくてはだめなのだろう。じっくり向き合うべし。
その時間が取れるだろうか、というのが一方にあり、いやいや、オレの立場でそれをやらなくてどうする、というのが他方にあり、自分の中で妙なせめぎ合いが起きている。
いずれにせよ、意識の謎について答えを知りたいという格闘の中で、津田氏の深遠な思想とは、今後長いつきあいになりそうな予感がしている。
(報告:小林 秀章)
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*講演資料: